サラエヴォ事件とは
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都サラエヴォを訪問中にセルビア人青年ガヴリロ・プリンツィプによって射殺されました。この「サラエヴォ事件」は、わずか一か月後の第一次世界大戦勃発の直接の引き金となった、20世紀の歴史を大きく左右した出来事です。
悲劇の瞬間、大公の周囲には妃や側近、警察関係者など多くの人物が存在し、彼らは事件を間近に目撃することになりました。ここでは、主な目撃者および関係者を紹介します。
大公と同じ車に乗り合わせていた人々
ゾフィー(ホーエンベルク公爵夫人)
大公の妃ゾフィーは、夫とともに同一の車に乗車しており、襲撃の瞬間を至近距離で目撃しました。
カール・ボチェク
大公付きの副官として、車内に同乗していました。
オスカー・ポティオレク
ボスニア総督。大公夫妻と同じ車に乗っており、事件の最前線に立っていた人物の一人です。
救急搬送・警備に関わった人々
スタニスラフ・ホヨス伯爵少佐
負傷した大公を病院へ搬送する車に同乗しました。
エーリヒ・フォン・メリッツィ伯爵
警察上級監察官として、当日の警備体制を担っていました。
ヨハン・ホルツァーとレオポルト・ロイカ
捜査・警備を担当した人物たちです。特にロイカは大公の専用車の運転手として知られており、進路を誤ってプリンツィプの眼前に車を停めてしまったことで、悲劇は避けられないものとなりました。
その他の関係者
ランコロンスカ伯爵夫人
現場付近に居合わせた貴族の一人です。
アルフレッド・レドル大佐
軍情報部の将校で、その後執り行われる葬儀に関わりました。
アルフレッド・ポラック
弁護士として事件に関係しました。
暗殺者たち
アロイス・ジジェクとカルロ・マリヒ(チングル)は、ボスニア・セルビア人の暗殺者であり、その場で即座に射殺されました。
まとめ
サラエヴォ事件の現場には、皇族から警察官、軍人まで多岐にわたる人々が居合わせていました。彼らの証言や記録は、この歴史的転換点の様子を今に伝える貴重な資料となっています。