「なぜギリシャは三国協商に参加したのか」という疑問を持つ方は少なくありませんが、実はギリシャは三国協商の正式な加盟国ではありません。まず三国協商がどのような同盟であったのかを確認し、そのうえで第一次世界大戦におけるギリシャの複雑な立場を見ていきましょう。
三国協商とはどのような同盟か
三国協商(英仏露協商)は、イギリス・フランス・ロシア帝国の3か国によって形成された同盟関係です。1904年の英仏協商と1907年の英露協商を経て実質的に成立し、ドイツとオーストリア=ハンガリー帝国の間で結ばれた二国同盟(独墺同盟)への対抗として機能しました。
ギリシャの実際の立場
ギリシャは三国協商のメンバーではなく、開戦当初は中立国としての立場を取っていました。しかし、第一次世界大戦中のギリシャは国内で大きく意見が対立していました。
国王コンスタンティノス1世は中立政策、あるいは親独派的な姿勢を支持した一方、首相エレフテリオス・ヴェニゼロスは連合国側への参戦を強く主張しました。この対立は「国民分裂」と呼ばれる深刻な政治危機へと発展し、一時はギリシャ国内に二つの政府が並立する事態となりました。
1917年、連合国側での参戦へ
1917年、コンスタンティノス1世が退位すると、ヴェニゼロス主導のもとでギリシャは連合国(三国協商側)に加わって参戦しました。この経緯から、ギリシャが三国協商の一員であったと誤解されることがあるようです。
まとめると、ギリシャは三国協商の正式な加盟国ではなかったものの、大戦末期には連合国側で参戦し、戦後のパリ講和会議において自国の領土的利害を追求する立場へと回っていきました。