実は、この質問には重要な前提の誤りがあります。ショーニー族の偉大な指導者テカムセがイギリスと同盟を結んだのは、ティピカヌーの戦いの「後」ではありません。彼はそれ以前からイギリスとの同盟を模索しており、正式な同盟が成立したのは、米英戦争(1812年戦争)が始まってからでした。
ティピカヌーの戦い以前から続いたイギリスとの接触
テカムセは、アメリカ合衆国による先住民の土地奪取に抵抗するため、多数の部族を結集する先住民連合の構想を推し進めていました。その過程で、彼は早くからカナダ側のイギリス当局との協力関係を求めており、1810年にはすでにカナダへ赴いてイギリス当局者との交渉を行っています。つまり、ティピカヌーの戦いの時点で、テカムセとイギリスの関係はすでに芽生えていたのです。
ティピカヌーの戦いとは
1811年11月7日、ウィリアム・ハリソン率いるアメリカ軍が、インディアナ準州の先住民居住地「プロフェッツタウン(預言者の町)」を攻撃しました。当時テカムセは南部諸部族への同盟拡大の旅に出て不在であり、町を守ったのは弟のテンスクワタワ(通称「預言者」)でした。戦闘自体は決着がつきませんでしたが、アメリカ軍は翌日プロフェッツタウンを焼き払い、先住民連合は大きな打撃を受けることになりました。
米英戦争の勃発と正式な同盟の成立
皮肉にも、ティピカヌーの戦いはテカムセをイギリスへと近づける結果となりました。アメリカとの対立が決定的に深まった彼は、1812年6月に米英戦争が始まると、正式にイギリス軍と同盟を結びました。イギリス側はテカムセを准将として迎え入れ、彼はアイザック・ブロック将軍と共にデトロイト攻略(1812年8月)などで大きな役割を果たしました。
まとめ
まとめると、テカムセはティピカヌーの戦いの後に初めてイギリスと同盟を結んだわけではなく、それ以前から同盟を求めて活動していました。正式な同盟が成立したのは1812年戦争の開始後であり、ティピカヌーにおける敗北とアメリカ軍による町の破壊こそが、彼をイギリスとの本格的な軍事協力へと向かわせる決定的な要因となったのです。