テューダー朝のイングランド王ヘンリー8世(在位1509~1547年)は、華やかな宮廷文化の推進者というイメージとは裏腹に、生涯を通じて幾度も戦場と向き合った君主でした。主な戦場となったのはフランスとスコットランドで、ここでは代表的な戦いを年代順に紹介します。
1513年:スパーズの戦いとフロッデンの戦い
スパーズの戦い
1513年8月16日、フランス北東部ギーヌ近郊で行われた戦闘です。ヘンリー8世は自ら大陸へ渡り、イングランド軍を直接指揮しました。フランス騎兵隊がほとんど戦わずに撤退し、「拍車(スパーズ)を切り捨てて逃げ去った」という逸話から、この戦いの名が付けられたと伝えられています。
フロッデンの戦い
同じ1513年9月9日、フランスと同盟関係にあったスコットランド王ジェームズ4世がイングランド北部へ侵攻し、ノーサンバーランドのフロッデン・フィールドで両軍が激突しました。国王不在の間、王妃キャサリン・オブ・アラゴンが後方統括を担うなどして迎え撃ち、イングランド軍は圧勝。ジェームズ4世は戦死し、スコットランド貴族層にも甚大な損害を与える結果となりました。
1520年代:イタリア戦争への関与
パヴィアの戦い
1525年にイタリアで行われたパヴィアの戦いでは、ヘンリー8世は縁戚にあたる神聖ローマ皇帝カール5世(シャルル5世)の側に立ち、イングランド部隊の派遣や資金面での援助を通じて皇帝軍を支えました。この会戦でフランス王フランソワ1世が捕虜となるなど、ヨーロッパの勢力図を左右する決定的な戦いとなりました。
ブローニュ方面の作戦
1522~23年にかけても対仏戦争の一環としてイングランド軍がフランス北部へ遠征を行い、港湾都市ブローニュ周辺での包囲・攻略作戦に関わりました。
1544年:ブローニュ包囲戦とモントルイユ包囲戦
晩年の1544年、ヘンリー8世は再び親征し、フランス北部の要衝ブローニュを包囲。数か月に及ぶ攻防の末に占領することに成功しました。一方で、同盟軍とともに攻めた内陸の要塞モントルイユの包囲は長期化・難航し、こちらは十分な成果を得られないまま終わっています。
1547年:ピンキー・クルーの戦い
1547年9月10日、エディンバラ近郊ムセルバラのピンキー・クルーにおいて、イングランド軍がスコットランド軍を打ち破りました。この戦いはヘンリー8世の死後に実施されたものの、幼いエドワード6世とスコットランドのメアリー女王との政略結婚を強制しようとする「粗野な求婚(ラフ・ウーイング)」政策の一環であり、その路線はヘンリー8世が生前に定めたものです。
まとめ
ヘンリー8世の戦歴は、フランスとの覇権争いとスコットランドとの国境紛争という二本の柱で捉えることができます。若き日の自らの親征から、晩年の領土拡大の試みまで、その軍事的野心はテューダー朝の外交・財政、そして後継者たちの政策に深い影響を残しました。