エリザベス1世は1558年から1603年まで、約45年にわたってイングランドを統治しました。この長い治世の間に、ローマ教皇の座は何度も受け継がれており、「当時の教皇は誰か」という問いに対する答えは、時期によって異なります。
即位当時と崩御時の教皇
エリザベス1世が1558年11月に王位に就いたとき、ローマ教皇であったのはパウルス4世(在位:1555年〜1559年)です。一方、1603年3月に彼女がこの世を去ったときの教皇はクレメンス8世(在位:1592年〜1605年)でした。
エリザベス1世の治世中に在位した教皇一覧
- パウルス4世(1555年〜1559年):エリザベスの即位時に教皇であった。
- ピウス4世(1559年〜1565年):トリエント公会議の再開などで知られる。
- ピウス5世(1566年〜1572年):1570年、教皇勅書「レグナンス・イン・エクセリシス」によりエリザベス1世を破門したことで有名。
- グレゴリウス13世(1572年〜1585年):グレゴリオ暦の導入者。スペイン無敵艦隊によるイングランド遠征を支援した。
- シクストゥス5世(1585年〜1590年):強力な統治を行い、ローマの都市整備を大きく進めた。
- ウルバヌス7世(1590年):在位わずか13日で死去。
- グレゴリウス14世(1590年〜1591年)。
- インノケンティウス9世(1591年):在位はわずか約2か月。
- クレメンス8世(1592年〜1605年):エリザベス1世の崩御時の教皇。
ピウス5世による破門
特に重要な出来事として、1570年に教皇ピウス5世がエリザベス1世を破門し、臣下への忠誠義務を解除したことが挙げられます。これにより、カトリック勢力とイングランド王室の対立は決定的となり、後のスペイン無敵艦隊(アルマダ)との戦い(1588年)へとつながっていきました。
なぜ英国国教会には教皇が存在しないのか
そもそも英国国教会(アングリカン・チャーチ)には、創設以来今日まで「教皇」という役職が存在しません。これは父ヘンリー8世の時代にローマ・カトリック教会から離脱して以来の伝統です。イングランド国教会における最高の権威はローマ教皇ではなく、君主自身に置かれています。
エリザベス1世は自らを「最高統治者(Supreme Governor)」と称し、宗教的・政治的な両面で国教会の長としての立場を確立しました。この制度は現代まで受け継がれており、現在でもイギリスの君主はイングランド国教会の最高統治者であり続けています。
まとめ
エリザベス1世の即位時の教皇はパウルス4世、治世中には計9人の教皇が在位し、崩御時の教皇はクレメンス8世でした。彼女の治世は、イングランドがローマからの独立を固め、プロテスタント国家としての道を歩み始めた決定的な時代だったのです。