1775年4月18日の夜、ボストンの銀細工師ポール・リビア(Paul Revere)は、アメリカ独立戦争の幕開けとなる歴史的な「真夜中の騎行」を行いました。彼はどのような準備と工夫をもって、この危険な任務を遂行したのでしょうか。その詳細を紐解いてみましょう。
任務の背景:イギリス軍の動きをつかむ
当時、ボストンに駐留するイギリス軍が、コンコードに保管されていた植民地側の武器や弾薬を押収し、さらにサミュエル・アダムズやジョン・ハンコックら愛国者の指導者を逮捕するために出動する、という情報がもたらされました。リビアたちはこうした事態に備え、あらかじめ周辺の町との間に迅速な連絡網を整えていました。
「ランタン合図」:陸路か海路か
有名なのが「ランタンひとつなら陸路、ふたつなら海路」という合図です。リビアはボストンのオールド・ノース教会(Old North Church)の尖塔にランタンを掲げるよう友人に依頼し、イギリス軍の進路を対岸の同志たちへ正確に伝えました。
チャールズ川の渡河と疾走
リビア自身は小舟でチャールズ川を渡り、チャールズタウンで馬を調達すると、レキシントンへ向けて夜道を疾走しました。メドフォードやアーリントン(当時はメノトミー)などの村々を経由しながら、沿道の民兵たちにイギリス軍接近の警報を次々と伝えていったのです。
捕縛と仲間の活躍
実は史実では、リビアはレキシントンでアダムズとハンコックに警告を届けた後、コンコードへ向かう途中でイギリス軍の偵察隊に捕らえられてしまいます。しかし、同行していたウィリアム・ドーズやサミュエル・プレスコットが逃走に成功し、コンコードまで警報を届けることができました。つまり、これは一人の英雄による単独行ではなく、複数の伝令が支え合う組織的な作戦だったのです。
詩によって広まった伝説
1860年、ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩「ポール・リビアの騎行」が発表されると、「イギリス軍が来るぞ!」と叫びながら一人で駆け抜ける英雄像が広く浸透しました。史実とは多少異なるものの、この物語は自由と独立への意志を象徴する逸話として、今日までアメリカで語り継がれています。