近代科学の誕生は、近世における最も重要な出来事の一つであり、コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、ティコ・ブラーエといった研究者たちの功績によって実現しました。

近代科学とは何か
近代科学とは、観察と実験の方法を技術的道具(特に望遠鏡と顕微鏡)の使用と結びつけた科学のことです。この科学は16世紀のヨーロッパで本格的に発展し始めました。多くの歴史家は、この新しい科学の誕生を一種の革命とみなしています。なぜなら、古代および中世の世界では、自然現象(地上のものも天体も)や生物などを研究する際に技術が用いられず、宇宙を腐敗や有限性を受け入れる均質な物質から構成されたものとして捉えていなかったからです。
閉じた宇宙という古代・中世の世界観
古代人や中世の人々にとって、宇宙、すなわち世界とは、極めて明確に定義された調和的な構造をもつ閉じた体系でした。端的に言えば、それはコスモス(秩序ある宇宙)だったのです。アリストテレスの用語に従えば、月下世界(天球と月より下の領域)である地上界は有限であり、不完全さに満ちていました。一方、月上世界の天体には、地上と同じような不完全さが存在しえないと考えられていました。
こうした世界観は、カトリック教会の神学者たちによって、創造の教義と自然探究とを結びつける複雑かつ実り豊かな形で受容されました。そこにさらに加わったのが、地球をこの調和的なコスモスの中心とみなしたプトレマイオスの宇宙論です。
ルネサンスと知識交流の活発化
14世紀から16世紀にかけてヨーロッパ各地で展開したいわゆる文化ルネサンスの時代になると、古代の天文学・物理学の文献をめぐる知識の交換が盛んになりました。また、航海用具の改良も進み、これらの蓄積が後にガリレオ・ガリレイによる望遠鏡の開発の基礎となります。北欧では現在のポーランド、ドイツ、オランダにあたる地域が、南欧では特にイタリアが商業発展の舞台となり、ルネサンスは芸術や科学をはじめとするさまざまな分野に深く根付いていきました。
コペルニクスと地動説の提唱
ポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクスは、当時支配的だったプトレマイオスの説とは根本的に異なる宇宙像の仮説を初めて打ち立てました。それが地動説(太陽中心説)です。この仮説は、地球を含むすべての惑星が太陽の周囲を公転しているとするものであり、そこから太陽を宇宙の中心と考えることが可能になりました。コペルニクスのこの仮説は、のちにイタリアの天文学者ガリレオ・ガリレイによって裏付けられることになります。
ガリレイと望遠鏡の発明

イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館にある、望遠鏡を持つガリレイの像
ガリレイは、天体観測にとって決定的な道具となった望遠鏡の開発の担い手でした。望遠鏡を通して、ガリレイは月やその他の惑星にも不完全さが存在することを突き止めます。これは、閉じたコスモスという古来の概念に真っ向から挑戦する発見でした。
科学史家アレクサンドル・コイレは、この「閉じたコスモスの破壊」をガリレイ、ヨハネス・ケプラー、ティコ・ブラーエらの科学者たちが成し遂げ、そこから新しい宇宙論、すなわち物理的世界に対する新しい見方への転換が始まったと論じています。17世紀以降、人類の宇宙観は無限宇宙の概念へと向かっていくのです。
新しい言語としての数学と近代科学体系の確立
無限宇宙という概念には、それにふさわしい新しい言語が必要でした。それこそが数学です。ガリレイによれば、世界は幾何学の文字を通じて「読み」、解釈できるものでした。こうして数学と帰納論理は、17世紀の哲学思想、とりわけルネ・デカルトの合理主義やイギリス哲学者たちの経験論と結びつきながら、近代科学の体系を織り上げていきました。この体系は、20世紀前半にアインシュタインが相対性理論を、ハイゼンベルクとボーアが量子力学を提唱するまで、着実に発展を続けたのです。