民主化への転換点
ブラジルは1985年の選挙を機に、民主化(レデモクラチゼーション)へのプロセスを本格的に開始しました。この年、軍事政権による統治が終わり、タンクレド・ネーヴェスが共和国大統領に選出されたことで、約20年に及んだ軍政時代に幕が下ろされることになったのです。
直接選挙法案の否決と政党の動き
それに先立つ1984年、大統領を国民の直接投票で選ぶことを求める憲法修正案(ダンテ・デ・オリヴェイラ修正案)が議会で否決されました。この敗北を受け、各政党は間接選挙に備えて次期大統領候補の選定に向けた動きを活発化させていきました。
PDSの分裂とPFLの結成
与党・社会民主党(PDS)はパウロ・マルフを大統領候補として擁立しました。しかし、マルコ・マシエウ、ジョゼ・サルネイ、アウレリアーノ・シャヴィスら党内の一部有力者は、この公認決定に強く反発します。こうした対立の結果、彼らは離党し、自由戦線党(PFL)という新政党を結成することになりました。
民主同盟の結成
PFLは野党・ブラジル民主運動党(PMDB)への政治的支援を表明し、両党による「民主同盟」が形成されました。PMDBはタンクレド・ネーヴェスを大統領候補として擁立しており、PFLの支援を基盤に、両党間の協定によってジョゼ・サルネイが副大統領候補となることが決まりました。一方、労働者党や共産党といった左派政党は、この同盟には加わりませんでした。
タンクレド・ネーヴェスの当選と急逝
1985年1月15日、首都ブラジリアで開かれた選挙人団による投票でタンクレド・ネーヴェスが共和国大統領に選出され、ここにブラジルにおける軍事独裁政権の歴史は終わりを告げました。
しかし、就任式前日の3月14日、タンクレドは体調を著しく崩して入院します。病状は改善せず、むしろ悪化の一途をたどり、サンパウロの病院へ移送されましたが、もはや手遅れでした。そして同年4月21日、ついに大統領として就任を果たさないまま、この世を去ったのです。
サルネイ政権の発足と「新共和国」の時代
こうした緊急事態を受けて、副大統領候補であったジョゼ・サルネイが大統領に就任し、いわゆる「新共和国(Nova República)」の時代が幕を開けました。この時代には1988年の新憲法制定など、ブラジルにおける民主主義再建の基礎が築かれたことでも知られています。