
コーカサス地域の複雑な歴史的背景
東ヨーロッパに位置するコーカサス地方は、バルカン半島と並んで、中世以来、民族紛争や宗教紛争が頻発してきた地域として知られています。この地域にはゲルマン系、スラヴ系の人々やイスラム教徒、キリスト教徒が混在して暮らしており、第一次世界大戦の時期には、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国という三大帝国の利害が交錯する中心地となりました。
その後、これらの帝国の崩壊、ソ連(ソビエト連邦)の成立、第二次世界大戦、冷戦、そして1991年のソ連崩壊といった激動の歴史が、この地域の政治的状況を根本的に変えていきました。
ソ連崩壊後のチェチェン独立宣言と第一次紛争
1989年以降のソ連体制の動揺期において、チェチェンの状況は最も深刻なものの一つでした。住民の大多数がイスラム教徒であるチェチェンは、ソ連崩壊後もロシア連邦内の共和国としてとどまりました。しかし1991年、チェチェンはロシアからの独立を宣言します。
これに対し、当時のロシア大統領ボリス・エリツィンは軍部と協力してチェチェンへの攻撃計画を進め、同地域を再び自国の支配下に置こうとしました。こうして1994年、第一次チェチェン紛争が勃発しました。
1996年、ロシア軍はマスハードフ率いるチェチェン抵抗勢力に敗北します。マスハードフは独立の獲得だけでなく、イスラム法(シャリーア)に基づく国家の樹立も目指していたのです。
プーチン政権下での紛争再燃とテロの激化
1999年、当時首相だったウラジーミル・プーチン(後に大統領に就任)は、チェチェンに対してさらに大規模な攻勢を開始しました。プーチンは10万人規模の兵力と重火器をこの地域に投入し、紛争はかつてない規模へと拡大しました。その結果、数千人が命を落とし、多くの都市が廃墟と化しました。
一方、チェチェンの分離独立派武装勢力の一部は、ロシアに対してテロ的手段を用いるようになりました。誘拐や爆破事件が相次ぎ、2002年10月には、武装したチェチェン人グループがモスクワ南西部の劇場を占拠し、約800人の人質を取るという事件が発生しました。犯人側はロシア軍のチェチェンからの撤退を要求しました。
国際テロ組織との関連
劇場占拠事件をはじめとする一連の事件については、チェチェン反乱勢力とアルカーイダなどのイスラム過激派組織との結びつきを示唆する数多くの証拠があるとされています。アルカーイダは、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生した同時多発テロを計画した組織として広く知られています。