古代の歴史

ガル(スー族の戦争指導者)

ガル(英:Gall、1840年頃 - 1894年12月5日)は、北米大平原に暮らしていたネイティブ・アメリカン、ハンクパパ族の戦争指導者です。ハンクパパ族はスー族(ラコタ)を構成する7つの部族の一つであり、ガルはその中でも特に勇猛な戦士として知られていました。ラコタ語では「ピジ(Pizi)」という名で呼ばれていました。

生い立ち

ガルは1840年頃、現在のサウスダコタ州にあるモロー川付近で生まれたとされています。幼少期に父親を亡くした後、後に偉大な指導者となるシッティング・ブルに見込まれ、その庇護のもとで成長しました。

レッド・クラウド戦争への参加

1865年から1868年にかけて、レッド・クラウドが率いた白人入植者やアメリカ軍に対する戦争に、若き戦士として参加しました。この経験を通じて、ガルは次第に優れた軍事的指導者としての名声を確立していきます。

リトルビッグホーンの戦い

一時的な平和の時期を経て、ガルはシッティング・ブルの下で戦争指導者の一人となりました。1876年6月25日に勃発したリトルビッグホーンの戦いでは、ハンクパパ族の主力として戦い、ジョージ・A・カスター将軍率いる部隊を全滅させるという歴史的勝利に大きく貢献しました。

白人との和解

しかし、度重なる戦いと厳しい飢餓の中で、ガルは1881年に白人との戦争継続を断念することを決意します。同年、アメリカ軍に降伏し、以降は武器を捨てた生き方を選びました。

晩年

1889年からはスタンディング・ロック保留地で農夫として働きながら、インディアン事務裁判所の判事も務めるようになりました。この頃、かつての盟友シッティング・ブルが関わっていた「ゴースト・ダンス(精霊舞踏)」運動について、ガルはそれを欺瞞的なものであると公然と非難し、両者の間には対立が生じることとなりました。

ガルは1894年12月5日、サウスダコタ州オーク・クリーク(現在のワクパラ近郊)でこの世を去りました。戦士として名を馳せた後、平和的な生活を受け入れ、部族のために尽力した人物として記憶されています。