古代の歴史

ヴェルダン攻防戦の戦略背景:英仏の構想とドイツの「フランス消耗作戦」

1916年、第一次世界大戦の主導権をめぐる英仏独三国の思惑が交錯するなか、ヴェルダンの地が激戦の舞台として選ばれることになりました。ここでは、開戦に至った双方の司令部の戦略と、ヴェルダンが標的となった理由を解説します。

フランス軍最高司令部の構想:ソンム大攻勢

ジョフル大将率いるフランス軍最高司令部にとって、機動戦の復活は依然として最重要課題でした。総司令官の関心は、ソンム地方での大規模攻勢の準備に集中していました。敵の防衛線を突破し、失われた機動戦を取り戻し、そして戦争そのものに決着をつける——それが彼らの目指すゴールだったのです。

ドイツ軍参謀本部の戦略:「フランスを血で枯れさせる」

一方、帝国参謀総長ファルケンハイン将軍率いるドイツ軍司令部は、まったく異なる発想で問題に向き合っていました。彼はこの紛争の早期終結を強く求めていました。なぜなら、イギリスが消耗戦によって中央同盟国を窒息させようとしていると考えていたからです。

その打開策としてファルケンハインが描いたのは、二つの手段でした。第一に、新たな戦法である潜水艦作戦によって、イギリスに高コストの戦争を強いること。そして第二に、何よりもフランス軍の戦力を徹底的に破壊することです。彼自身が残した次の言葉は、その冷酷さを物語っています。

「我々が目的を達成できようができまいが、フランスの軍隊は血を絞り尽くされるだろう」

この過激な思考は、今後展開される戦闘の凄惨さを予感させるものです。目的は、フランスに戦意を喪失させ、降伏へと追い込むことにありました。

ヴェルダンが選ばれた理由

ドイツ軍が攻撃目標としてヴェルダンを選んだ背景には、複数の要因がありました。

1. 重要な戦略的拠点

ヴェルダンは、ブリエイ=ティオンヴィル地区の砲弾工場群やメスの鉄道網に至近距離にある重要な戦略拠点でした。ここを攻略できれば、ドイツ軍にとって大きな脅威となる補給・生産拠点を直接守れる位置にありました。

2. 放棄できない国民的象徴

さらに、ヴェルダンはフランスにとって歴史的にも特別な意味を持つ象徴的な土地でした。843年のヴェルダン条約では、シャルルマーニュ大帝の孫たちの間で領土が分割され、西フランク王国(後のフランスの原型)が誕生しています。この由緒ある土地を敵に明け渡すことは許されないというのが、フランス側の共通認識でした。したがって、ドイツ軍はフランス軍が撤退するどころか、死守のためにその場で戦い抜くだろうと予測しました。まさに「血で枯れさせる」作戦にうってつけの場所だったのです。

3. ドイツ軍の準備の速さ

また見逃せない点として、ドイツ軍の方がフランス軍よりも早く攻撃計画を実行に移せることが明らかでした。もし実行が遅れていれば、両軍の対決はおそらくソンム地方で行われていたはずです。準備のスピード差が、戦場をヴェルダンへと導いたといえます。