13世紀、モンゴル軍はユーラシア大陸を席巻しました。その驚異的な征服の陰にあったのが、独自の装備と戦術です。モンゴル兵の主力武器は槍と弓のわずか2種類であり、メイスやサーベルはあくまで最後の手段として使われていました。モンゴルの槍には、敵を馬から引き落とすための鉤(かぎ)が備えられていることが多く、ステップ遊牧民にとって何よりも重要な武器こそが弓だったのです。
複合弓――ステップの至宝
モンゴルの弓は、細部の素材こそ違うものの、スキタイ人やパルティア人が用いていたものとほぼ同じ構造を持っています。二重の反りを持つ複合弓で、最大射程は150〜200メートルに達しました(ただしこの距離では矢の威力は失われます)。実戦では75メートルの距離で西洋の鎧をも貫通できたといいます。
この武器はイングランドのロングボウとは似て非なるものでした。モンゴルの複合弓は製作が非常に難しく、水牛の角、腱、さまざまな種類の木材など多様な材料と、熟練した職人を必要としました。
比較的繊細な武器であるため、湿気や衝撃を嫌いました。そこでモンゴル兵は、常に腰に下げた専用ケースに弓を収め、約60本の矢を入れた矢筒を携帯していたのです。
矢じりは赤熱させた後、塩水に浸すことで強度を高めていました。また、信号を伝達するための笛矢(鳴り矢)も存在しました。
防具と甲冑
軽騎兵の防具は、せいぜい革製の兜(金属板で補強されることもあった)程度でした。しかしモンゴル人自身は甲冑を所有しており、多くは漆塗りの革製、裕福な者は鉄製でした。後に敗北した諸民族から鎧を接収することもありました。
こうした甲冑は一般に、漆を塗った革の帯を幾重にも重ね合わせて構成されていました。ヨーロッパの甲冑より軽量だったと考えられますが、着用感は決して良好ではなかったようです。その下には生糸で織られた幅広のシャツを好んで着ていました。このシャツには特筆すべき特性があり、負傷すると矢と一緒に傷口に入り込み、裾を引っ張るだけで矢じりを簡単に取り出せたと伝えられています。
同時代の証言には盾についても言及がありますが、これは衛兵だけが携行し、しかも夜間に限られたものでした。重騎兵の馬は革と金属製の馬鎧で保護され、額には鉄板が取り付けられていました。
軍旗――トゥクとスルデ
モンゴルの軍旗には「トゥク(tuk)」と「スルデ(süld)」の2種類がありました。スルデは長い竿にヤクや馬の尻尾を固定した旌(はた)です。黒い旗は戦時に、白い旗は平時に掲げられました。尻尾の数は3本から9本で、9本は原則として皇帝(カーン)だけに許された数です。さらにカーンは「ホフ・トゥク(青き旗)」と呼ばれる個人旗を持っていたとも伝えられます。白い鷹が描かれたこの旗は、彼の氏族の象徴でした。
反曲弓(リフレックスボウ)とは
リフレックスボウとは、両端がわずかに内側へ反り返った弓のことです。ただしリカーブボウとは区別されます。
弓を引き絞ると、その反りが大きな力を生み出し、弓の重量やサイズを大きくすることなく、矢をより速い速度で放つことを可能にします。
この形式では弓体にかかる応力が増大するため、構成材料には極めて高い品質が求められます。
弦を外した状態では、弓全体が前方に湾曲し、中央が射手から離れる方向を向いて逆さの「C」字型を形成します。ここがリカーブボウとの大きな違いです。
このタイプの弓は、中央アジアの遊牧民(パルティア人、モンゴル人、トルコ人など)やマジャール人によって、火器が登場するまで広く使用され続けました。