第一次世界大戦の終結と休戦協定
1918年11月11日、ドイツはコンピエーニュの森に停められた列車の車内で、レトンドにおける休戦協定に調印しました。こうして第一次世界大戦は幕を閉じます。
ヴェルサイユ条約は、第一次世界大戦を正式に終結させる講和条約の一つです。史上初の産業化された総力戦は、兵士のみならず一般市民にも甚大な被害をもたらしました。この戦争が「最後の戦争(Der des Ders)」として記憶されるよう、恒久平和の構築が強く求められたのです。
調印日
1919年6月28日
主要な登場人物
- ジョルジュ・クレマンソー(フランス首相)
- デビッド・ロイド・ジョージ(イギリス首相)
- ウッドロウ・ウィルソン(アメリカ合衆国大統領)
- ヴィットーリオ・オルランド(イタリア首相)
条約締結までの経緯
1919年1月、パリ講和会議において、第一次世界大戦の戦勝国がヴェルサイユ宮殿に集まりました。27か国を代表する100人以上の外交官が交渉を開始します。しかし、最終的な決定権は「四人評議会」が握っていました。フランスのクレマンソー、アメリカのウィルソン、イギリスのロイド・ジョージ、そしてイタリアのオルランドです。一方、ドイツとロシアは予備交渉の場から排除されていました。
協議は時に激しく紛糾しました。参戦各国(交戦国)の見解が異なり、時には正反対だったためです。
- アメリカ(ウィルソン):民族自決の原則を掲げて持続的な平和の確立を目指し、国際連盟(平和維持を担う国際機関)の設立を構想していました。
- イギリス(ロイド・ジョージ):ヨーロッパ大陸の安定を確保するため、ドイツへの配慮を重視しました。
- フランス(クレマンソー):対照的に、隣国ドイツを可能な限り弱体化させることを目標としていました。
講和条約は「鏡の間」で調印されました。この場所には象徴的な意味があります。1871年1月、普仏戦争の後、まさにこの部屋でドイツ帝国の成立が宣言されたのです。
条約の結果と影響
- アメリカとフランスはそれぞれの主張を通すことに成功しました。国際連盟は条約本文に組み込まれ、ドイツは戦争責任を問われることになりました。
- ドイツは国土の13%を失い、領土は二分されました。ポーランドには海への直接のアクセスを可能にする「ダンツィヒ回廊」が与えられ、アルザス=ロレーヌはフランスへ返還されました。また、ドイツ植民地の大部分は国際連盟の委任統治という形でフランスとイギリスに委ねられました。
- ライン川左岸は15年間、連合国によって占領されました。軍事面での規定も厳しく、ドイツ軍は10万人に制限され、ライン左岸の非武装化が義務付けられ、徴兵制は廃止され、新たな兵器の製造も禁止されました。
- ドイツは莫大な物的・経済的賠償の支払いを強いられました。ただし、その額は条約調印の時点では確定していませんでした。クレマンソーによる「ドイツは払うだろう」というスローガンは、復讐心を象徴するものでした。
- ヴェルサイユ条約はドイツ人にとって極めて屈辱的なものとして受け止められました。ドイツではこれを「強制講和(ディクタート)」と呼び、この言葉は戦間期にナチスをはじめとするナショナリスト勢力によって利用されることになります。