古代の歴史

ウマイヤ朝の足跡――ダマスカスから広がったイスラム最初の王朝

預言者の死後、権力を握った元敵たち

632年にムハンマドが死去してから約30年後、かつて彼の最大の敵であった勢力が、彼の残した共同体(ウンマ)の舵取りを担うことになります。実はこの頃、預言者の仲間たちは内乱(フィトナ)によって分裂していたのです。

第4代カリフであり預言者の従兄弟でもあったアリーは、孤立無援の状態に追い込まれました。そこへ現れたのが、ダマスカス総督でウマイヤ家出身のムアーウィヤです。彼は権力を掌握し、自らの子をカリフ位の後継者に据えました。こうして661年、世襲王朝としてのウマイヤ朝が誕生したのです。

80年におよぶ征服の時代

以後およそ80年間、イスラム最初の王朝であるウマイヤ朝は勝利を重ねていきます。イラクとイラン、シリアとエジプトを次々と手中に収め、その支配域は中央アジアへと広がり、北アフリカをも征服しました。

8世紀の初めには、ついにイベリア半島とガリア(現在のフランス)の一部までが陥落します。この破竹の拡大が止められたのは、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いにおいてでした。

「神の僕」が目指したもの

ダマスカスから統治を行ったウマイヤ朝の君主たちは、「神の僕(アブド・アッラーフ)」および「信徒たちの長(アミール・アル=ムーミニーン)」という称号を帯びていました。彼らの第一の目的は、アラブ人の主権、そしてコーランを啓示した神の主権を打ち立てることにありました。

しかしながら、アラブの戦士たちはごく少数派にすぎず、服属した諸民族は先祖伝来の宗教を保持することを認められていました。アラビア語が国家の言語として定着するまでには長い時間を要し、行政官の一部がムスリムに置き換えられるまでには、さらに長い歳月が必要でした。なお、非ムスリム住民はジズヤ(人頭税)の納付と引き換えに信仰の自由を保障されるなど、独自の制度の下で暮らしていました。

イスラムの教義形成への決定的な貢献

ウマイヤ朝は、イスラムの教義と共同体の儀礼の形成において極めて重要な役割を果たしました。「イスラム」という言葉が、ユダヤ教やキリスト教といった他の聖書系一神教とは異なる、独立した宗教を指す語として決定的に定着したのは、まさにこの王朝の治世においてだったのです。

750年、アッバース家による革命によって権力の座を追われたこの征服王朝は、最終的にはその支配に疑義を呈され、打倒されたとはいえ、イスラム文明に深く消しがたい刻印を残しました。また、一族の生き残りアブド・アッラフマーン1世がイベリア半島に建てた後ウマイヤ朝(コルドバのウマイヤ朝)は、以後数百年にわたり西方イスラム世界の中心として栄えることとなります。