古代の歴史

スターリングラード第3中隊の記録――「彼らはここで祖国のために戦い、命を落とした…」

スターリングラード第3中隊の記録――「彼らはここで祖国のために戦い、命を落とした…」

1942年9月14日、スターリングラードの戦線は危機的な揺らぎを見せていた。ヴォルガ川東岸から到着する増援は、小部隊単位で直接戦場へ投入されるほど切迫していた。そのひとつが、ロジムツェフ少将率いる赤軍第13親衛狙撃師団・第42親衛狙撃連隊第3中隊だった。

建物を要塞化した40人の守備隊

「我々は包囲され、分断された…後退しながら建物を占領し、支援拠点へと改造していった。兵士たちが持ち場を離れたのは、軍服が炎の熱で燻り始めた時だけだった。それでもドイツ軍が一日に占領できたのは、わずか2街区の建物にすぎなかった」

こう語るのは、当の中隊に所属したソ連軍将校である。

「我々は3階建ての角地にある建物を占拠した。あらゆる方向をカバーできる絶好の位置だ。ここが最後の防御陣地となった。将校はすべての出入口と窓を封鎖し、射撃用の開口部を開くよう命じた…」

「半地下の狭い窓には機関銃を据え付けた…6人編成の分隊2つが3階に陣取った…」彼らは壁を打ち壊し、ドイツ兵が近づいた際には瓦礫を武器として頭上に叩きつける覚悟を固めていた。

水も食料も尽きた過酷な籠城

「守備隊の兵力は40名…その後、過酷な日々が続いた。戦闘続行可能なのはわずか12名。水は一滴も残っておらず、食料といえば火災で焦げた小麦だけだった…」

衛生兵リューバ・ネステレンコは戦死した。傷口からは血が流れ、彼女は手に包帯を握りしめていたという。最期の瞬間まで、誰か負傷者の傷口に包帯を巻こうとしていたのである。

血染めのシャツで作られた「赤旗」

「静寂の中、我々は周囲で繰り広げられる激戦の音に耳を澄ませていた…どうすれば仲間を救援でき、少しでも多くのドイツ軍をこの陣地へ引き寄せられるだろうか?そこで我々は建物に赤旗を掲げることを決めた。そうすれば敵も、守備隊が全滅したとは考えないはずだ。しかし、赤い布などどこにもない。すると重傷を負った兵士が自らのシャツを脱ぎ、傷口の血を拭い取って、それを旗として差し出したのだ…」

「ドイツ軍は『ロシア人ども、降伏せよ。さもなくば殺されるぞ』と叫んでいた。まさにその瞬間、我々は旗を掲げた…『吠えるがいい、犬どもめ。我々はまだ長く生きるぞ』と兵士クズシコは吼えた」

最後の250発と悲劇的な裏切り

「我々は石を投げ、散発的に発砲し、最後の手榴弾を使い果たして次の攻撃を撃退した。すると突然、履帯の音が聞こえてきた…手持ちの武器は、残弾3発の対戦車ライフルただ1丁。私はそれをベルディシェフに託し、建物の裏口から出て戦車を撃てと命じた…」

「しかし彼は射撃位置に就く前に捕虜となってしまった。ドイツ軍に何を語ったのかは分からない。だが彼は、我々が機関銃を構えていた場所へ敵を導いてしまったのだ…弾薬がないことを見抜いたドイツ兵たちは、堂々と立ち上がり、叫び声を上げながら接近してきた。私は最後の弾帯を機関銃に装填し、250発すべてを敵兵めがけて叩き込んだ。手に傷を負いながらも、撃ち続けた」

「生き残ったドイツ兵は恐慌状態で遮蔽物へ逃げ込んだ。しかし1時間後、彼らはベルディシェフを瓦礫の山まで連行し、我々の目の前で銃殺したのである」

壁に刻まれた不滅の言葉

「それ以降、敵は突撃を仕掛けてこなくなった。代わりに砲弾が建物に雨のように降り注いだ…あまりの砲火の密度に、頭を上げることすら許されなかった。そして再び、戦車の恐ろしい轟音が近づいてきた…あの進路が、我々の終焉を意味することは明白だった…」

「兵士たちは互いに別れを告げ始めた。クズシコはナイフで壁にこう刻みつけた――『ロジムツェフの兵士たちは、この場所で祖国のために戦い、命を落とした』と…」

スターリングラード第3中隊の記録――「彼らはここで祖国のために戦い、命を落とした…」スターリングラード第3中隊の記録――「彼らはここで祖国のために戦い、命を落とした…」

第13親衛狙撃師団は1942年9月14日夜から15日にかけてヴォルガ川を強行渡河し、崩壊寸前だったスターリングラード市街の防衛線再構築に決定的な役割を果たした。渡河直後の師団兵力約1万人のうち、数日後に生き残っていたのはごく一部だったと伝えられている。壁に刻まれたあの言葉は、市街戦の凄惨さとソ連兵の不屈の抵抗を象徴するものとして、今日も語り継がれている。