古代の歴史

ユトランド半島:ドイツ侵略軍に望みなく戦い抜いたデンマーク兵たちの記録(動画あり)

ユトランド半島:ドイツ侵略軍に望みなく戦い抜いたデンマーク兵たちの記録(動画あり)

1940年4月9日、ドイツがデンマークに侵攻した際、「デンマーク人は戦わずして降伏した」と非難されることが多い。しかし、それは事実ではない。同国の小規模な軍隊は、政府と状況が許す限り戦い続けたのだ。

当時の左派政権は、ドイツを「挑発」することを恐れ、軍司令部からの懇願にもかかわらず、総動員令の発布を拒否し、既存の防衛計画に基づく軍の防御的展開も許さなかった。ドイツの圧倒的な優勢を考えれば、仮にそれらが行われても最終的な結末は変わらなかったかもしれない。だが、今日まで語り継がれてきた「無抵抗降伏」という神話を打ち消すことはできただろう。

ブレデヴァッド(Bredevad)の戦い

中央の「前線」にあたるユトランド半島では、ドイツ軍は早朝6時30分頃、国境から10キロの地点にあるブレデヴァッド村に到達した。デンマーク軍には防御態勢を整える時間すらなかった。そこで、ドイツ軍の先遣隊と遭遇した約50名のデンマーク兵は、周囲の庭園などに散開して陣取り、20mm対戦車砲1門と短機関銃で応戦するほかなかった。

デンマーク兵たちはドイツ軍を300メートルまで引きつけた後、使えるあらゆる火器で射撃を開始した。勇敢に戦う少数の兵たちは、ドイツ戦車4両を無力化し、敵の前進を食い止めた。しかし、まもなく数で圧倒するドイツ軍に包囲されてしまう。しばらく戦いを続けた後、彼らは死者2名、負傷者5名を出して降伏を余儀なくされた。

ハーゼスレウ(Haderslev)の戦い

ハーゼスレウはバルト海沿岸に位置する南デンマークの小都市である。運命の1940年4月9日、ハーツ大佐率いる225名のデンマーク兵からなる小部隊がこの町に駐屯していた。部隊の任務は、町の兵舎、とりわけ南側からの進入路の防衛であった。

この小さな守備隊が動員されたのは、なんと警察からドイツ軍侵攻の報せを受けてからの朝7時だった。軍司令部からの公式通知は一切なかったのである。まもなく後退してきたデンマーク軍の中隊が町の守備隊に合流し、ハーツ大佐に状況を伝えた。

大佐は直ちに3つのバリケードの構築を命じ、その材料には木材から横転させた自動車まで、入手可能なあらゆる物が投入された。最終的にハーツ大佐の指揮下には400名の兵士、37mm対戦車砲1門、20mm対戦車砲2門、そして数丁のマドセン軽機関銃が揃った。

7時50分頃、最初のドイツ軍が姿を現した。先頭は戦車である。デンマーク軍の37mm砲が発砲し、前進してくるドイツ戦車に3発もの命中弾を与えて無力化した。しかし、ドイツ軍の激しい反撃により、砲員2名が戦死、他の3名が負傷。その後、戦車がその砲を容赦なく踏み潰して通り過ぎていった。

ドイツ軍はさらに前進を続けたが、ソンダーブロ通りの角で、デンマーク兵が急造したバリケードの一つに行く手を阻まれた。そこには20mm対戦車砲2門と短機関銃が配備されていた。

ドイツ軍の猛烈な砲火にもかかわらず、デンマーク兵たちは攻撃側を釘付けにした。デンマーク側は1名戦死、2名負傷だったが、ドイツ軍の損害はそれを上回った。戦闘は10分間続き、バリケードの守備隊が「度重なる失策を重ねてきたデンマーク政府が停戦を命じた」との報せを受けて初めて終息した。

しかしながら、町の守備隊の残りの部隊にはこの停戦命令が伝わっておらず、彼らは侵略者への抵抗を続けた。デンマーク兵たちはさらにもう1両の戦車を無力化し、ドイツ軍のオートバイ部隊にも損害を与えた。彼らは8時15分まで戦い続け、武装解除命令が正式に伝えられて初めて武器を置いたのである。

町の兵舎での最後の戦闘では、デンマーク兵1名と市民3名が命を落とした。準備も情報もないまま、あらゆる面で圧倒的に優勢な敵と戦ったデンマーク兵たちの姿は、彼らの士気の高さを雄弁に物語っている。祖国がドイツ軍に瞬く間に占領されたことの責めを、彼らに負わせるべきでは決してないのだ。

ユトランド半島:ドイツ侵略軍に望みなく戦い抜いたデンマーク兵たちの記録(動画あり)

ハーゼスレウで武器を置いたばかりのデンマーク兵たちと、戦死した仲間の遺体。20mmゾロターンS18-1000軽対戦車銃が見える。

ユトランド半島:ドイツ侵略軍に望みなく戦い抜いたデンマーク兵たちの記録(動画あり)

ハーゼスレウにて、ドイツ軍の攻撃直前の37mm対戦車砲の砲員5名。うち2名が戦死し、3名が負傷した。

ユトランド半島:ドイツ侵略軍に望みなく戦い抜いたデンマーク兵たちの記録(動画あり)

20mm軽対戦車砲を装備したデンマーク軍のオートバイ部隊。