古代の歴史

アントニウスとオクタウィアヌス、カッシウスとブルータスの決戦はどこで行われた?――紀元前42年の「フィリッピの戦い」

マルクス・アントニウスとオクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)と、ガイウス・カッシウスおよびマルクス・ブルータスとの決戦は、紀元前42年、ギリシャ北部マケドニア地方の都市「フィリッピ」で行われました。この戦いは一般に「フィリッピの戦い」として知られています。

フィリッピの戦いとは何か

フィリッピの戦いは、カエサル(ユリウス・シーザー)暗殺後に実権を握った「第二回三頭政治」の一派(アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥス)と、共和政ローマの伝統を守ろうとした暗殺者たち(カッシウス、ブルータス)が衝突した、古代ローマ史上屈指の重要な戦いです。

戦場となったフィリッピは、エーゲ海に近いギリシャ北東部に位置する都市で、当時は東方への交通の要衝となる軍事的拠点でした。

二度にわたる激戦

フィリッピの戦いは、実際には2つの段階に分けて行われました。

第一段階(紀元前42年10月3日頃)

アントニウス率いる部隊がカッシウスの陣地を奇襲して攻略し、カッシウスは味方の状況を誤認して自害しました。しかし同じ日に、ブルータスはオクタウィアヌスの軍を撃破しており、形勢は一進一退となりました。

第二段階(同年10月23日)

約20日間に及ぶ対峙の末、補給に苦しむブルータス側は決戦を強いられ、最終的に連合軍に敗北。ブルータスも自ら命を絶ちました。

戦いの結果と歴史的意義

フィリッピでの勝利により、カエサル暗殺計画は完全に頓挫し、共和政復活を掲げる勢力は壊滅しました。ローマは三頭政治による支配体制へと移行します。

その後、アントニウスとオクタウィアヌスの対立を経て、アクティウムの海戦(紀元前31年)に勝利したオクタウィアヌスが唯一の支配者となり、「アウグストゥス」の名のもとに帝政ローマの時代を開くことになります。

なお、この戦いはウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の第5幕でも描かれており、文学の世界でも広く知られる場面となっています。