第二次エル・アラメイン会戦は、1942年10月23日から11月11日にかけて、エジプト西部の砂漠地帯において、イギリス第8軍とドイツ・イタリア装甲・イタリア装甲軍(パンツァーアルミー・アフリカ)が激突した、第二次世界大戦北アフリカ戦線の決定的な戦いです。圧倒的な兵力と物資を擁するイギリス軍が勝利を収め、この戦いによって北アフリカにおける枢軸国の攻勢は事実上終わりを迎え、中東・北アフリカ戦線全体の大きな転換点となりました。
ここでは、この歴史的な会戦の勝敗を左右した両軍の重要人物を紹介します。
連合軍(イギリス側)の重要人物
バーナード・ロー・モントゴメリー
イギリス第8軍司令官。着任直後から部隊の再編と訓練に力を注ぎ、圧倒的な物量を背景とした綿密な攻撃計画「ライトフット作戦」を立案しました。慎重かつ徹底的な準備によって勝利を確実なものにし、戦後はイギリスの国民的英雄となりました。
オリヴァー・リーズ
第30軍団司令官。会戦序盤の主力となる歩兵攻撃を担当し、広大な地雷原と枢軸軍の防御陣地を突破する困難な任務を遂行しました。
ブライアン・ホロックス
第13軍団司令官。南側方面での陽動攻撃を指揮し、ドイツ軍の予備兵力を引きつける重要な役割を果たしました。
バーナード・フレイバーグ
ニュージーランド師団長。卓越した指揮能力と不屈の闘志で知られる名将であり、同師団は最終段階の突破作戦「スーパーチャージ」において中心的な役割を担いました。
枢軸軍(ドイツ・イタリア側)の重要人物
エルヴィン・ロンメル
ドイツ・イタリア装甲軍司令官。北アフリカ戦線での華々しい戦術的才能から「砂漠の狐」の異名を持つ名将です。しかし、この会戦では補給の途絶と圧倒的な兵力差に苦しみました。会戦開始時には病気療養のためドイツ国内におり、11月初旬に戦場へ復帰しましたが、戦況を覆すことはできませんでした。
ゲオルク・シュトゥンメ
ロンメルの不在時に装甲軍の指揮を執ったドイツ将軍。会戦初日の10月24日、前線視察中に心臓発作で急逝し、枢軸軍の指揮系統に大きな混乱をもたらしました。
ウィルヘルム・リッター・フォン・トーマ
ドイツアフリカ軍団司令官。シュトゥンメの急死後には一時的に装甲軍全体の指揮も代行しました。優れた戦術家として枢軸軍防衛の中核を担いましたが、11月4日に捕虜となりました。
まとめ
第二次エル・アラメイン会戦は、モントゴメリー率いるイギリス第8軍がロンメルのドイツ・イタリア装甲軍に決定的な勝利を収めた戦いです。この敗北により枢軸国軍は北アフリカからの撤退を余儀なくされ、「砂漠の狐」の不敗神話にも幕が下ろされました。同会戦はスターリングラードの戦いやガダルカナル島の戦いと並び、第二次世界大戦全体の趨勢を連合国側へ傾けた重大な転換点の一つとされています。