等級分類の難しさ
本稿は、この時代の軍艦の武装がいかに多様であったかに光を当て、同階級の艦同士であっても搭載砲数が異なる理由を解き明かそうとする試みである。それは同一国の艦隊内であろうと、他国との間であろうと変わらない。具体例を挙げよう。
- アルゴ号は36門のオランダ・フリゲートで、一斉射の総重量は194ポンド。ところが彼女を拿捕したイギリスの36門艦フェニックス号の一斉射は407ポンド――実に2倍以上である。
- ヴィルジニー号はフランスの40門(実際は44門を搭載)フリゲートで、一斉射403ポンド。これを拿捕したインディファティガブル号は、わずか2門多いだけで702ポンドもの一斉射火力を誇った。
- アメリカ海軍のフリゲート、コンステレーション号は名目上36門だったが、実際には48門を搭載していた。
この混乱の一因は、カロネード砲の登場以前に確立された等級制度が「砲の数」のみを数えていた点にある。1799年末にカロネード砲が導入されると、それは単に艦の武装として追加され、艦の等級には反映されなかった。さらに厄介なことに、既存の長身砲をカロネード砲に換装しても、元の等級番号はそのまま維持された。
- 44門艦レインボー号は当初、18ポンド砲20門、12ポンド砲22門、6ポンド砲2門の計44門、一斉射318ポンドで武装していた。1782年にカロネード砲へ換装されると、68ポンド砲20門、42ポンド砲22門、32ポンド砲6門となり、砲数はわずか4門増えたにすぎないが、一斉射は1238ポンド、つまり4倍に跳ね上がった。
- さらに衝撃的な例がヘンリー・トロロープ艦長である。1795年、彼は東インド会社から海軍が購入した5隻の2層甲板艦のうちの1隻、グラットン号の指揮を委ねられた。同艦の武装は18ポンド長身砲28門と32ポンドカロネード26~28門で、一斉射700ポンドという、それだけでも十分印象的な火力を持っていた。トロロープは18ポンド砲を68ポンドカロネード28門に交換し、一斉射1400ポンド――100門1等戦列艦をも上回る火力を実現した。唯一の難点は、その威力を発揮するには標的から50ヤード以内まで肉薄しなければならないことだった。
ほとんどの艦は両タイプの砲を混載しており、さらに小型艦の多くは第3の火器、すなわち舷側に据えた小型旋回式の4ポンド「スウィベルガン」を搭載していた。これらは艦の等級には一切算入されなかったが、小型艦の火力をほぼ2倍に引き上げることもあった。
指揮系統
当時の各国艦隊は、おおむね類似した指揮構造を持っていた。最下級の士官は中尉(海尉)である。大型戦列艦では非常に若い士官であることもあれば、小型艦の指揮官を務めることもあった。中尉が単独で指揮できる最大の艦種は、砲艇、スクーナー、カッター程度だった。中尉が「マスター・アンド・コマンダー」に任じられ、ブリッグやスループを与えられると「キャプテン」の称号を帯びたが、指揮を解かれれば再び中尉の階級に戻るのが常だった。
あらゆる中尉の目標は「正式任官」、すなわち艦長の地位を得て、艦隊の現役艦長名簿に名を連ねることであった。ひとたびこの名簿に載れば、艦長のキャリアは先達たちと同じく、昇進、退役、あるいは戦死のいずれかで閉じることになる。幸い長寿を全うできれば、最後は提督への昇進で幕を引くこともできた。
艦長と提督の間には「コモドール(分艦隊司令)」という地位が置かれていた。これは、海軍本部が必要とする戦力を編成できる複数の艦の指揮を一人の艦長に委ねる役職である。本来、どの艦群の指揮も現役艦長名簿上の最上位者が執るのが原則であり、この制度はその原則に優先するものだった。任務が終われば、この艦長はふたたび普通の艦長の列に戻されるのが通例だった。
「旗将校(フラッグ・オフィサー)」、すなわち提督は、少将、中将、大将の3階級に分かれていた。「旗将校」と呼ばれるのは、彼らが乗艦するとその存在を示す旗が掲揚されたからである。イギリス海軍ではこの制度がさらに洗練され、提督を「赤」「白」「青」の3つの名目上の戦隊に割り振る方式が採用された。赤は最古参に、青は最年少に与えられた。したがって青色の中将はどんな少将よりも先輩であるが、赤や白の中将よりは後輩ということになる。昇進は階級から階級へだけでなく、戦隊から戦隊へと段階を踏んで進んでいったのである。
イギリス海軍における現役最高位は「赤色戦隊大将(Admiral of the Red)」だった。一方、海上勤務の現役最高位は「白色戦隊大将(Admiral of the White)」であった。
フランス海軍も極めてよく似た制度を採用していた。名目上の戦隊は「青」、「白青」、「白」の順で、階級はそれぞれ大将(Amiral)、中将(Vice-Amiral)、少将(Contre-Amiral)に相当した。なおフランスでは、コモドール(分艦隊司令)の地位がイギリスと異なり恒久的なものだった点が特徴的である。
武装による艦船の分類
現役最大の艦は1等艦である。100門以上の砲を備え、3層の主甲板を持つ巨艦だった。その広々とした艦内は提督と幕僚を収容できる理想的な司令部となり、強烈な一撃を与え、また受け止めることもできた。
イギリス海軍は2等艦を重用し、常時12~20隻を現役に保っていた。これらも3層甲板で86~98門を搭載していた。通常は1等艦より小型だったが、折に触れて優れた旗艦となった。実際のところ、多くの2等艦は多くの3等艦より大きくはなく、同時代のフランス製80門艦の方が強力な一斉射を有していたほどである。
あらゆる戦闘艦隊の中核を成したのは3等艦だった。60~84門の砲を2層甲板に配した艦で、その寸法も武装も実に幅広かった。大型80門艦は約1200ポンドの一斉射を放ち、2000トン超を余裕で航行できた。一方64門艦の一斉射は650~700ポンド、排水量はわずか1400トンだった。
1800年代以降、64門艦は戦列から退いていった。フランスは1780年以降64門艦の建造を中止し、イギリスでもこのクラスの最後の艦は1790年に進水している。ただしそれらは黒海やバルト海といった浅海域での船団護衛任務に広く活用された。敵フリゲートを追い払うに足る火力を持ち、より大型の艦とも対抗できたからである。多くは主甲板から砲を降ろして「フルート化」された兵員輸送艦としてイギリス海軍に使われた。フランス艦隊も同じ目的で大型のフルート・フリゲートを多用していた。
戦列の万能の主役といえば、どこにでもいた74門艦である。「3層甲板艦」と正面から渡り合えるだけの大きさを備えながら、荒天下ならフリゲートさえ追い抜ける機動力と速力を併せ持つ74門艦こそ、あらゆる大規模戦闘艦隊の背骨だった。
次の区分である4等艦は、絶対的な括りだった。すなわち「2層甲板を持ちながら60門未満の艦」である。イギリス海軍は平時の連絡任務や旗艦勤務のため約50隻を使い続けた。1794年から1805年にかけて東インド会社から購入された堂々たる54門2層甲板艦が何隻かあり、その大半はまもなく兵員輸送艦へ改装された。時代の初期には44門の2層甲板フリゲートがイギリスで数隻現役だったが、これらも早々に兵員輸送か貨物輸送へ格下げされた。ヨーロッパのいくつかの中小国、とりわけ浅瀬に囲まれたオランダは、小型の2層甲板艦を現役に据えていた。
5等艦、いわゆるフリゲートは1層甲板の全帆装艦で、その規模は実にさまざまだった。最大級のもの、とくに時代末期の艦は1500トンに達し、60門級に匹敵した。一般的な大型フリゲートは44門か40門で、排水量は1400トンないし1200トン。梯子の下端には、すでに旧式化しつつあった28門フリゲートがおり、排水量600トン前後だった。フリゲートは、正規艦長(post captain)が指揮を委ねられる最小の艦種だった。偵察、船団護衛、交易拠点への襲撃など、フリゲートが担う任務は実に多彩だった。
フリゲートの下にはスループが位置する。10~26門を搭載する1層甲板艦で、「マスター・アンド・コマンダー」たる中尉が指揮した。帆装は3本マスト式にも、2本マストのブリッグ型にもなり得た。フランス海軍ではこれをコルベットと呼んだ。
さらに小型の艦級もいくつか存在し、いずれも中尉が指揮した。6~14門のブリッグ、スクーナー、カッター(イギリス海軍のカッター)などである。これらはほとんどが特定任務専用の艇だった。その大半を占めたのは、大型臼砲を備えた爆撃艇(ボム艇)、小口径の舷側砲に加えて前方発射の臼砲1~2門を搭載した砲艇、そして特殊用途のポンプ艇などである。ガリオットと砲艇はケッチ型帆装だった。ポンプ艇はその特殊性ゆえに使用頻度は低かった。残りの多くは哨戒や船団護衛においてコルベットのように運用された。
私掠船(コルセール)
当時、多くの国が私掠免許状を携えた船舶、通称「コルセール(私掠船)」を擁していた。私掠船とは民間の軍事船であり、そのほとんどは小型で、典型的にはシェベック型。高速で乗員も多く、敵の商船を狩り、その捕獲品を自らの利益とした。
各船は政府から発行された「許可証」を持ち、敵国旗を掲げる船舶のみを攻撃することが認められていた。それ以外の獲物を狙えば海賊行為とみなされて禁じられるため、実際には多くの私掠船が海賊と大差ない存在だった。コルベットや各種砲艇の任務の大部分は、こうした敵私掠船の取り締まりに充てられたのである。