古代の歴史

1610年デラワー卿の到着後、ネイティブ・アメリカンとイギリス人入植者の間で何が起きたのか?

デラワー卿の到着がもたらした転換点

1610年、トマス・ウェストことデラワー卿は、イギリス植民地ヴァージニアの新総督としてジェームズタウンに到着しました。彼の到着は、ネイティブ・アメリカン(先住民)とイギリス人入植者の関係に大きな転換点をもたらしました。ここでは、その後に起こった主な出来事を順に解説します。

1. 対立の激化

ジョン・スミスら前任者とは異なり、デラワー卿はポウハタン連邦に対して極めて強硬な姿勢を取りました。彼は首長ポウハタン率いる連邦を植民地への脅威とみなし、先住民の集落への報復攻撃や焦土作戦を次々と命じました。これにより、両者の対立は一気に本格的な軍事衝突へとエスカレートしました。

2. 第一次ポウハタン戦争の激化

デラワー卿の到着前から続いていた紛争は、彼の強硬政策によって戦争へと発展しました(第一次ポウハタン戦争、1609〜1614年)。イギリス軍は先住民の村やトウモロコシ畑を焼き払うなどの過酷な作戦を実行し、双方に深刻な被害をもたらしました。

3. 「飢餓の時代」とその終結

有名な「飢餓の時代(Starving Time)」は、1609年から1610年の冬に起こった出来事で、デラワー卿の到着直前のことでした。この冬、ジェームズタウンの数百人の入植者のうち、生き残ったのはわずか60人ほどだったといわれています。食料を積んだデラワー卿の船団の到着により、植民地は崩壊の危機から救われました。しかしその後も入植者たちは慢性的な食料不足に苦しみ、先住民の食料への依存や略奪が、両者の対立をさらに深める要因となりました。

4. 一時的な和平の試み

関係改善のため和平の努力も行われました。特に1614年、ポウハタンの娘ポカホンタスと入植者ジョン・ロルフの結婚をきっかけに、第一次ポウハタン戦争は終結し、一時的な平和が訪れました。しかし、この平和は長く続かず、その後も緊張状態が繰り返されました。

5. 1622年のジェームズタウン襲撃

イギリス側の領土拡大や強硬な対応への反動として、1622年、ポウハタン連邦はジェームズタウン周辺の入植地に奇襲攻撃を行いました。この「1622年の虐殺」では約350人の入植者が命を落とし、当時の植民地人口の約4分の1が失われる、植民地史上最悪級の惨事となりました。

6. 植民地の拡大と先住民の追放

タバコ栽培の成功によりイギリス植民地は急速に拡大し、先住民の土地は次々と侵食されていきました。その結果、多くの部族が故郷を追われて移住を余儀なくされ、入植者たちとの緊張はますます高まっていきました。

7. 文化の衝突と疫病

イギリス人入植者の到来は、天然痘や麻疹など、先住民が免疫を持たない病気をもたらし、先住民社会に壊滅的な打撃を与えました。加えて、宗教観や生活文化の大きな違いも、両者の関係悪化に拍車をかけました。

まとめ

デラワー卿の到着は、ネイティブ・アメリカンとイギリス人入植者の関係における重要な分水嶺となりました。彼の強硬路線は、その後数十年にわたる対立と戦争の序章となり、やがて先住民の土地喪失と追放へとつながっていきました。この時期の出来事は、北米植民地史における悲劇的な展開の出発点だったといえるでしょう。