「貴族十字軍」という呼称は、歴史学において一般に第1回十字軍(1096年〜1099年)の主力部隊、すなわち「民衆十字軍」と対比される「諸侯十字軍」を指すのが通例です。一方で、エデッサ陥落を受けて起こった第2回十字軍(1147年〜1149年)と混同されることも少なくありません。ここでは両者の動きを整理しながら、「数々の苦難を乗り越えて小アジアにたどり着き、トルコ人を破ったのはどの十字軍だったのか」を見ていきます。
貴族十字軍=第1回十字軍の主力部隊
ブーローニュのゴドフロワ、トゥールーズ伯レイモン4世、ターラント公ボエモンら有力諸侯が率いたこの軍団は、総勢約4万〜6万人(戦闘員は約3万人強、うち騎士は数千人)と推定されています。彼らは1096年末から翌年にかけてコンスタンティノープルに集結し、1097年に小アジア(アナトリア半島)へ渡りました。
同年5月にはルーム・セルジューク朝の拠点ニカイアを攻略し、続く1097年7月1日のドリュラエウムの戦いで、キリジ・アルスラーン1世率いるセルジューク・トルコ軍を撃破します。過酷な行軍、飢え、指揮官間の対立といった「ひどい苦難」にもかかわらず、貴族十字軍は確かに小アジアに到達し、トルコ人に対して最初の大勝利を収めたのです。この勝利が、アンティオキア攻囲戦やエルサレム征服(1099年)への道を開くことになりました。
第2回十字軍との混同に注意
一方、1144年のエデッサ陥落を受けて出発した第2回十字軍は、神聖ローマ皇帝コンラート3世とフランス王ルイ7世が率いました。この十字軍も小アジアを通過しましたが、1147年10月のドリュラエウム付近の戦いでドイツ軍が、さらに1148年1月にはカドモス山(ラオディキア付近)でフランス軍が、それぞれセルジューク朝軍に壊滅的な打撃を受けます。結局、ダマスコス攻囲(1148年)にも失敗し、エデッサ奪還という本来の目的を果たせないまま終わりました。
まとめ
つまり、「多くの苦難を乗り越えて小アジアに到達し、トルコ人を破った」のは、第2回十字軍ではなく第1回十字軍の主力である貴族(諸侯)十字軍です。数万人規模の彼らは1097年にアナトリアに入り、ニカイア攻略とドリュラエウムの戦いでセルジューク・トルコ軍を打ち破り、後の聖地奪回への足がかりを築きました。これに対して第2回十字軍は、むしろ小アジアでトルコ軍に敗れ、目標を達成できなかった十字軍として記憶されているのです。