マギステル・ミリトゥム(Magister militum)は、「民兵の長」「兵士たちの主」「軍隊の総司令官」「参謀総長」など、さまざまな形で訳されることが多いローマ帝国の高級官職です。
官職の創設と役割
ローマ軍の指揮権はマギステリ・ミリトゥム(magistri militum)に委ねられ、場合によっては歩兵を統括する「マギステル・ペディトゥム(magister peditum)」と、騎兵を統括する「マギステル・エクィトゥム(magister equitum)」に分割されることもありました。
この官職の創設は、コンスタンティヌス帝が軍制を再編した時代(312年〜325年)にまで遡ります。これは軍事権と民政権の分離を具体的に実現するものであり、この地位は戦略上きわめて重要であると同時に、関係する諸勢力に対する強い政治的なシグナルでもありました。
その後、皇帝権力が衰退すると、マギステル・ミリトゥムは皇帝の権力を代行する主要な存在となっていきます。423年にホノリウス帝が死去した後、東ローマ皇帝テオドシウス2世は、マギステル・ミリトゥムであったカスティヌスに対し、自らの名において西ローマを統治することを正式に委任しました。
西ローマ帝国の崩壊と称号の変質
同盟民族(フェデラティ)の公(ドゥケス/duces)たちはこの称号を帯びるようになり、行政権や立法権にとどまらず、キリスト教西洋世界が徐々に形成されていく過程で、改宗を通じて世俗権力と宗教的権力をも兼ね備えるようになりました。
ローマ領ガリアでは、シアグリウスがこの称号を持った最後のローマ人です。彼は、フォエドゥス(同盟条約)を締結したゲルマン系諸王国に囲まれる形で存続しました。
410年以降、西ローマにおける皇帝の実効的な権力は、もはや皇帝の手から離れていきました。
こうしてローマ帝国のこの行政称号は本来の意味から転化し、大移動時代に成立した最初期の王国々における権力構造の変化を経て、中世の称号(dux=公爵、rex=王)を伴う封建制度へと発展していったのです。
組織内での位置づけ
マギステル・ミリトゥムの上位にはエクザルコス(exarch、総督)が位置し、エクザルコスは民政権と軍事権を一身に兼ね、きわめて大きな自律性を享受していました。
一方、その部下にあたるのは、帝国各地に駐屯する各軍団を指揮する軍事伯(コメス/comes)や公(ドゥケス/duces)たちでした。