クレオパトラ7世(紀元前69年〜紀元前30年)は、古代エジプト・プトレマイオス朝の事実上最後の君主です。彼女が命を絶った後、「エジプト人皇帝」は二度と現れませんでした。では、その後のエジプトはどのように統治されたのでしょうか。
クレオパトラの死後、エジプトはローマ帝国へ
紀元前31年のアクティウムの海戦でオクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)率いるローマ軍に敗れたクレオパトラは、翌紀元前30年に自ら命を絶ちました。これにより、アレクサンドロス大王の部将プトレマイオス1世以来約300年続いたプトレマイオス朝は滅亡し、エジプトはローマ帝国に併合されます。
皇帝ではなく「属州長官」が統治
ローマの支配下に入ったエジプトは、独立した王国ではなく一つの属州となりました。統治を担ったのは、ローマ皇帝が直接任命する「エジプト長官(プラエフェクトゥス・アエグプティ)」です。つまり、クレオパトラの後に「エジプト皇帝」と呼べる存在はなく、エジプトはローマ皇帝権力の下で管理されることになったのです。
なぜファラオは復活しなかったのか
エジプトは豊かなナイル川流域を抱える穀倉地帯であり、ローマにとって極めて重要な食糧供給源でした。そのため、皇帝の直轄地として厳格に管理され、元老院議員でさえ原則として立ち入りが制限されるほど特別な扱いを受けていました。こうした事情から、土着の王や皇帝が再びエジプトに君臨することはありませんでした。
まとめ
クレオパトラ7世の死をもって、古代エジプトの王朝時代は幕を閉じました。その後のエジプトはローマ帝国の属州として、ローマから派遣された長官が統治します。「クレオパトラの後のエジプト皇帝」は存在せず、エジプトは以後数百年にわたりローマ世界の一部として歴史を歩んでいくことになりました。