古代の歴史

フォンテーヌブローの勅令はどのようにナントの勅令の規定を覆したのか?両勅令を徹底比較

ナントの勅令とは?アンリ4世が認めた宗教的寛容

ナントの勅令(Édit de Nantes)は、1598年にフランス国王アンリ4世が発布した勅令で、ユグノー(フランスのカルヴァン派プロテスタント)に宗教的自由を与えたものです。三十年以上に及ぶ宗教戦争を終結させる画期的な寛容政策として知られています。主な規定は以下の通りです。

  • ユグノーが指定された特定地域で自由に礼拝することを許可した
  • ユグノーに市民権と公職に就く権利を保障した
  • プロテスタント裁判所を設置し、プロテスタントの学校やアカデミーの開設を認めた

フォンテーヌブローの勅令とは?ルイ14世による撤回

フォンテーヌブローの勅令(Édit de Fontainebleau)は、1685年に「太陽王」ルイ14世が発布した勅令で、ナントの勅令が認めた宗教的寛容を完全に撤回したものです。主な規定は以下の通りです。

  • ユグノーの公的な礼拝の権利を撤回した
  • すべてのプロテスタント教会の破壊を命じた
  • プロテスタントの学校やアカデミーを禁止した
  • すべてのユグノーの子供をカトリック教徒として育てることを義務付けた
  • ユグノーのフランス国外への出国を禁止した(ナントの勅令に含まれていた「移住の自由」条項を撤回)

比較表:規定はどのように覆されたのか

フォンテーヌブローの勅令は、ナントの勅令の各規定を一つひとつ正反対の内容へと覆しました。両者の対応関係を整理すると以下のようになります。

規定ナントの勅令(1598年)フォンテーヌブローの勅令(1685年)
礼拝の自由指定地域での礼拝を許可公的礼拝の権利を撤回
教会存在を認める全教会の破壊を命令
教育機関学校・アカデミーを許可全面禁止
子供の信仰信仰の自由を保障カトリックとしての養育を強制
国外移住移住の自由を認める出国を禁止

撤回がもたらした歴史的影響

フォンテーヌブローの勅令により、ユグノーは法的な存在基盤を完全に失いました。この結果、推定20万人前後のユグノーが密かに国外へ脱出し、オランダ、イングランド、ブランデンブルク=プロイセンなどへ亡命しました。彼らの中には熟練した職人や商人が多く含まれていたため、フランス経済は深刻な打撃を受け、受け入れ側の国々は産業発展の恩恵を得ることとなりました。