古代の歴史

ジャンヌ・ダルクはなぜ宗教改革にとって重要なのか?その歴史的意義を解説

ジャンヌ・ダルクといえば、一般にはプロテスタント宗教改革との関わりで語られることはほとんどありません。宗教改革が始まったのは、彼女の死から一世紀以上も後のことだからです。彼女は主に、百年戦争における活躍と、イングランド側についたフランス人聖職者が多数を占める教会裁判によって異端者・魔女として処刑された悲劇的な最期によって記憶されています。

百年戦争の英雄としてのジャンヌ・ダルク

1429年、農民の娘だったジャンヌは「神からの使命」を信じ、フランス王太子シャルル7世のもとへ向かいました。オルレアン包囲戦でフランス軍を勝利に導き、王太子のランスでの戴冠を実現させるなど、戦況を大きく左右しました。しかし翌1430年、コンピエーニュの戦いでブルゴーニュ派に捕らえられ、イングランド側に引き渡されてしまいます。

教会裁判による処刑という悲劇

1431年、ルーアンにおいて開かれた裁判は、司教ピエール・コーションをはじめ、イングランドに与する聖職者たちが主導していました。ジャンヌは異端の罪で有罪とされ、同年5月30日、火刑に処されたのです。当時わずか19歳でした。

では、なぜ宗教改革と関係するのか?

ジャンヌ・ダルクが宗教改革の文脈で意味を持つのは、彼女の裁判が「教会権威の正しさ」という問題そのものを突きつけたからです。神の名のもとに行われた教会裁判が、無実の信仰者を異端として処刑したという事実は、後に教会の権威や裁判制度の腐敗・誤りを問う議論の格好の例証となりました。

実際、1456年には教皇の承認のもとで再審が行われ、ジャンヌの無罪が正式に認められました。この「教会自身が過ちを認めた」という経緯は、教会の決定が常に正しいとは限らないことを示す好例として、後世の改革論議において言及されることになります。一方でカトリック教会は1920年に彼女を聖人として列聖し、同じ人物をめぐる解釈の違いが、カトリックとプロテスタントの歴史観の対比を浮き彫りにもしています。

つまりジャンヌ・ダルクは宗教改革の直接の担い手ではありませんでしたが、教会の権威と誤謬をめぐる問題を象徴する存在として、宗教改革期以降の宗教論争において重要な意味を持つようになったのです。