スペインのコンキスタドール(征服者)であるエルナン・コルテスは、1519年から1521年にかけてアステカ帝国を征服しました。この過程で、彼とその部隊、さらに同盟を組んだ先住民族の戦士たちは、数多くのアステカ人を殺害しています。「コルテスは先住民を一人も殺していない」とする主張が見られることがありますが、これは歴史的事実に反します。
チョルーラの虐殺
1519年10月、コルテスはチョルーラ市で大規模な虐殺を実行しました。同時代の記録によれば数千人の市民が犠牲になったとされ、この事件はスペインによる征服の残虐性を象徴する出来事として知られています。
テノチティトラン包囲戦
1520年の「悲しき夜(ノチェ・トリステ)」では、コルテス軍側も大きな損害を受けましたが、翌1521年の首都テノチティトラン(現在のメキシコシティ)包囲戦で情勢は一変します。約80日間に及ぶ包囲と激しい市街戦により、推定で数万人から10万人以上のアステカ人が命を落としたと考えられています。包囲に伴う飢餓と渇水も死者を急増させました。
疫病という「見えない脅威」
コルテス軍による直接的な殺害だけでなく、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘や麻疹などの伝染病が、免疫を持たない先住民の間で壊滅的な被害をもたらしました。征服後の数十年で中央メキシコの先住民人口は最大で90%減少したとの推計もあります。
まとめ
正確な犠牲者数を特定することは困難ですが、コルテスによるアステカ帝国征服は、戦闘、虐殺、疫病によって数十万人単位の命を奪った歴史的悲劇でした。彼が「誰も殺していない」というのは明らかな誤りであり、歴史記録が示す実像はそれとはまったく異なるものです。