「神なき学校」は「反神の学校」になるのか
カトリック右派は終始一貫してこう主張し続けた。「神なき学校は、一種の政治的重力の法則によって、明日には必ず『反神の学校』となる」と。彼らはフェリーに向かってこう訴えた。
信仰を持つ家庭の父親が、子どもたちにカトリック教育を受けさせる自由を、あなたは侵害している。あなたの政策は非道徳へ、政治的・社会的無秩序へと社会を導くだろう。
そしてあなたが作り出すのは、何ひとつ信じない人間たち――あなた自身さえも信じない人間たちだ。
二つのフランスを分かつ亀裂
この第三法案が提起した問題の重みは、はかり知れない。これらの条項は人々の魂の奥底まで踏み込み、「二つのフランス」のあいだに横たわる根源的で、いかにも解消不能に思われる誤解を白日の下にさらした。カトリック側が、その思想信念ゆえにフェリーとそのチームに対してどうしても抱かずにいられなかった疑念が、この亀裂をいっそう深めたのである。
上院での反撃――ブロイ公爵とジュール・シモンの連携
1880年12月に代議院を通過した法案は、翌1881年6月、上院で否決された。上院では、王党派のカトリックであるブロイ公爵(Duc de Broglie)が、学校の中立性を「良心の自由に対する企て」と痛烈に糾弾した。しかも彼は、強力な盟友を得ていた。それが、1877年5月16日の憲政危機でマクマオン大統統領と右派の犠牲となった元閣僚会議主席(首相)、すでに「第七条」をめぐる攻防で宿敵として知られた名高い共和派スピリチュアリスト、ジュール・シモン(Jules Simon)である。
シモンは修正案を提出し、小学校教育に「神に対する義務および祖国に対する義務」の教授を盛り込むよう求めた。
「神という御名を、あなた方は怖れるのですか」
シモンにとって、義務制・世俗の学校教育それ自体は優れた制度である。しかし、一部の共和主義者たちの傾向が世論を警戒させていたのも事実だった。生まれて広がった疑惑があり、それは払拭されるべきものだと彼は言った。
「神という御名は、あなた方を怖れさせはしないでしょう。ならば、なぜそれをはっきりと言わないのですか?」
フェリーの巧みな受け流し――「どの神様ですか?」
これこそが、ジュール・シモンがフェリーに突きつけた一撃であった。フェリーはきわめて巧妙にこれを受け流した。そもそも、どの神のことなのか? キリスト教徒の神か、純粋スピリチュアリズムの神(すなわちシモンの言う神)か、マルブランシュの神か、それともデカルトの神か?
さらにフェリーは問う。この「神」という問題に関して、公教育の教員の授業が、教会の司祭の説教と並行して歩み続けられるとでも言うのだろうか?
教員は「サヴォワの司祭」にはなれない
ジュール・シモンは、五万から六万に及ぶ公立教員たちを、ルソーの『エミール』に登場するような「サヴォワの司祭」に仕立て上げようと考えていたのだろうか? 公立教員は、そのような役割には備えていない。しかし彼らは、日常生活の一コマやフランスの歴史から引き出された、実践的で実証的な道徳を子どもたちに教えることについては、十分すぎるほど適任であった、とフェリーは述べる。
「議会で神に票を投じたりはしない」
フェリーはこう鋭く結論づけた。
「これは神に賛成するか、反対するかといった問題ではない。我々は、議会の場で神に票を投じたりはしないのだ」