セレウコス朝は、紀元前323年頃、マケドニア出身の将軍セレウコス1世ニカトルによって建国されました。彼はアレクサンドロス大王の遠征に従軍した有能な指揮官であり、大王の急死後に帝国が複数の国家へと分割されると、その一角を担う支配者として台頭しました。
アレクサンドロス帝国の分裂と権力闘争
アレクサンドロス大王が亡くなると、広大な帝国には明確な後継者がおらず、配下の将軍たち(ディアドコイ)の間で激しい権力闘争が繰り広げられました。セレウコス1世はこの争いを勝ち抜いて勢力を確立し、ここにセレウコス朝の基礎が築かれたのです。
中東から中央アジアまで及ぶ広大な領土
セレウコス朝の版図は中東全域にとどまらず、アナトリア(現在のトルコ)の一部、現在のイランに相当する地域、さらには中央アジアにまで及びました。東西交易路を押さえたこの巨大国家は、ヘレニズム世界最大級の王国へと発展していきます。
首都アンティオキアの建設
セレウコス1世は、現在のシリアにあたるオロンテス川沿いに新都市アンティオキアを建設し、これを帝国の首都と定めました。アンティオキアは地中海世界とオリエントを結ぶ要衝として栄え、古代屈指の大都市へと成長しました。
このようにセレウコス朝は、アレクサンドロス帝国の遺産を受け継いだセレウコス1世の手腕によって形成され、ヘレニズム時代を代表する大国として長く存続することとなったのです。