古代の歴史

カエサル死後のローマ――オクタウィアヌスが初代皇帝アウグストゥスになるまで

カエサルの死後、ローマで何が起こったのか?

紀元前44年、ガイウス・ユリウス・カエサルが暗殺されると、ローマは再び激動の時代へと突入しました。本記事では、カエサルの死からローマ帝国の誕生までの流れをわかりやすく解説します。

オクタウィアヌス、カエサルの後継者となる

カエサルの遺言により、ガイウス・オクタウィウス(後のアウグストゥス)が養子として指名され、正式な後継者となりました。当時わずか18歳だった彼は、マルクス・アントニウスと手を組み、着実に権力基盤を固めていきます。

両者は後にレピドゥスを加えて「第二次三頭政治」を樹立し、紀元前42年のフィリッピの戦いで、カエサル暗殺を主導したブルータスやカッシウスの軍を撃破しました。

その後、ローマ世界は東西に分割されます。オクタウィアヌスが西方を、アントニウスが東方を統治することになったのです。

クレオパトラとアントニウス

東方支配の拠点であるアレクサンドリアに滞在したアントニウスは、エジプトの女王クレオパトラ7世と親密な関係になり、二人の間には複数の子どもが生まれました。

しかしオクタウィアヌスは、この関係を自らへの重大な脅威とみなします。ローマの権力が東方の女王の手に渡ることを恐れた彼は、クレオパトラに宣戦布告し、紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラの連合艦隊を決定的に打ち破りました。

敗北した二人はエジプトへ逃れますが、やがて自ら命を絶つことになります。こうしてプトレマイオス朝エジプトは滅亡し、エジプトはローマの支配下に入りました。

オクタウィアヌス、初代皇帝アウグストゥスへ

クレオパトラの敗北により、オクタウィアヌスはローマ唯一の支配者となりました。長く続いた内乱時代に終止符を打った彼は、紀元前27年に元老院から「アウグストゥス(尊厳ある者)」の称号を授けられ、ここに初代皇帝アウグストゥスが誕生します。

アウグストゥスは共和制の形式を残しながらも実質的な皇帝権力を確立し、ローマ帝国の礎を築きました。以降、ローマは約200年にわたる平和と繁栄の時代、いわゆる「パックス・ロマーナ」へと進んでいくのです。