フリードリヒ2世(Friedrich II、1194年12月26日 – 1250年12月13日)は、中世ヨーロッパで最も個性的な君主の一人として知られています。しかし、「ホーエンシュタウフェン帝国をどのくらい統治したのか」という問いに対しては、まず一つの重要な訂正が必要です。
「ホーエンシュタウフェン帝国」は存在しなかった
歴史上、「ホーエンシュタウフェン帝国」と呼ばれる国家は存在しません。ホーエンシュタウフェン家(シュタウフェン家)とは、1138年から1254年にかけて神聖ローマ帝国の帝位を占めた王朝(貴族の家系)の名称です。つまり、フリードリヒ2世が統治した対象は「ホーエンシュタウフェン帝国」ではなく、神聖ローマ帝国だったのです。
神聖ローマ皇帝としての治世
フリードリヒ2世は1220年11月22日、ローマ教皇ホノリウス3世によって神聖ローマ皇帝として戴冠しました。その後、1250年12月13日に南イタリアのプッリャ(アプリア)地方で死去するまで、約30年間にわたって帝位に就いていました。
また、皇帝戴冠以前の経歴も見逃せません。彼は1198年、わずか3歳でシチリア王国の王位を継承し、1212年にはドイツ王(ローマ王)にも選出されています。このため、実質的に支配者の立場にあった期間まで含めれば、その政治的キャリアは半世紀近くに及びます。
「世界の驚異」と呼ばれた皇帝
フリードリヒ2世は同時代人から「ストゥポール・ムンディ(stupor mundi=世界の驚異)」と称されました。複数の言語に通じ、学問や自然科学を奨励し、シチリア王国では高度に中央集権化された統治体制を築き上げました。その一方でローマ教皇庁との対立を繰り返し、1239年には再び破門されるなど、教会との緊張関係の中で治世を送りました。彼の死後、ホーエンシュタウフェン朝は急速に衰退し、1254年には事実上その時代を終えることになります。
まとめ
フリードリヒ2世は「ホーエンシュタウフェン帝国」ではなく、ホーエンシュタウフェン朝の皇帝として神聖ローマ帝国を1220年から1250年までの約30年間統治しました。シチリア王として即位した1198年から数えれば、その支配は半世紀以上にわたることになります。