古代メソポタミアの中心地として栄えたバビロン。バビロニア人はその長い歴史の中で、周辺の多くの民族や都市国家を征服し、広大な勢力圏を築き上げました。特にハンムラビ王の時代(紀元前18世紀頃)の古バビロニア王国、そしてネブカドネザル2世が率いた新バビロニア帝国(紀元前7〜6世紀)の時代には、その軍事的・政治的影響力は中東全域に及びました。
バビロニア人が征服した主な民族
ヒッタイト
現在のトルコ中部を中心に栄えたヒッタイトは、紀元前1595年頃にバビロンを一時占領したことで知られます。以降、両勢力はシリア地方をめぐって対立と交流を繰り返しました。
カナン人
地中海東岸からヨルダン川流域に住んでいたカナン人は、新バビロニア帝国の時代にその支配下に入りました。ユダ王国の首都エルサレムが陥落し、住民の多くがバビロンへ強制移住させられた「バビロン捕囚」(紀元前586年頃)は特に有名です。
アモリ人
シリア方面から移動してきたセム系の遊牧民であるアモリ人は、実は古バビロニア王朝を打ち立てた民族でもあります。ハンムラビ王自身もアモリ人の出身であり、彼らはバビロニアの覇権確立の原動力となりました。
ペルシア人
イラン高原の勢力であったペルシア人との関係は複雑です。バビロニアは一時期ペルシア方面への影響力を及ぼしましたが、最終的には紀元前539年、キュロス2世率いるペルシア(アケメネス朝)によってバビロンは陥落し、バビロニアの歴史は幕を下ろすことになります。
カルデア人
南メソポタミアに定着したカルデア人は、新バビロニア帝国を築いた王朝の母体となった民族です。ナボポラッサルやネブカドネザル2世といった名君を輩出し、バビロニア最盛期を支えました。
まとめ
このようにバビロニア人は、ヒッタイト、カナン人、アモリ人、ペルシア人、カルデア人など、数多くの民族と戦い、あるいは同盟を結びながら、古代オリエント世界の覇権を争いました。ただし歴史の流れの中で、かつて征服しようとした相手が後にバビロニアを征服するという逆転も起こっています。興亡を繰り返したバビロニアの歴史は、古代中東のダイナミズムを今に伝えるものといえるでしょう。