ヒッタイト人が話していた言語とは?
ヒッタイトは、紀元前1600年頃から紀元前1200年頃にかけて、中央アナトリア(現在のトルコ)に栄えた古代文明です。一つの国家のように思われがちですが、実際にはその歴史を通じて複数の言語が使われていました。ここでは、ヒッタイト社会で用いられていた代表的な5つの言語を詳しく見ていきましょう。
1. ヒッタイト語
ヒッタイト語は、ヒッタイト帝国の主要かつ公式の言語でした。言語学的には、インド・ヨーロッパ語族の中でも独立した「アナトリア語派」に分類される非常に重要な言語です。
ヒッタイト語に関する知識のほとんどは、首都ハットゥシャ(現在のボアズカレ)から出土した楔形文字の粘土板や各種碑文にもとづいています。これらの解読は、文献学および古代史研究における重要な分野となっており、インド・ヨーロッパ比較言語学にも大きな貢献を果たしました。
2. ルウィ語
ルウィ語も同じくアナトリア語派に属する言語で、ヒッタイト帝国内、とりわけアナトリア南部および西部地域で広く使用されていました。
ルウィ語には複数の書記体系・方言があり、大きく次の2つに分けられます。
- 象形文字ルウィ語: 記念碑的な碑文や岩面彫刻に用いられた独自の文字体系
- 楔形文字ルウィ語: 公式文書などに用いられた楔形文字による表記
近年の研究では、ルウィ語こそがトロイア周辺地域で話されていた可能性も指摘されており、注目を集めています。
3. フルリ語
フルリ語(ミタンニ語とも呼ばれます)は、インド・ヨーロッパ語族には属さない言語です。しかし、紀元前2千年紀の古代近東では外交上の共通言語として広く機能していました。
フルリ語は、北メソポタミアに王国を築いたフルリ人の言語であり、彼らはヒッタイトと緊密な外交関係を結んでいました。興味深いことに、一部のヒッタイトの王や王妃はフルリ系の名前を持っており、両文明のあいだで活発な文化交流が行われていたことがうかがえます。
4. アッカド語
セム語派に属するアッカド語は、紀元前2千年紀のメソポタミアとその周辺地域において、国際共通語(リングア・フランカ)として広く使用されていました。
アッカド語はヒッタイト人の母語ではありませんでしたが、エジプトやバビロニアなどとの外交文書のやり取りのために、一部のヒッタイト人によって習得・使用されていました。国際舞台で生き残るための必須スキルだったといえるでしょう。
5. ウガリット語
ウガリット語は北西セム語に分類される言語で、後期青銅器時代に都市国家ウガリット(現在のシリア、ラス・シャムラ)で話されていました。
ヒッタイト人自身が日常的に使用した言語ではありませんが、ウガリットはこの地域における重要な貿易相手であり文化の中心地でした。そのため、ヒッタイト語の文献の中からも、ウガリット語由来の借用語がいくつか確認されています。
まとめ:多言語共存の古代国家
ヒッタイト帝国は、自民族の言語であるヒッタイト語を軸としながら、ルウィ語、フルリ語、アッカド語、ウガリット語といった多様な言語を使い分ける、高度に国際的な文明でした。これは、当時の古代近東における繁栄した交易ネットワークと外交関係の存在を如実に示しています。出土する粘土板の数々は、まさに「言葉のるつぼ」だった古代アナトリアの姿を今に伝えているのです。