マムルーク朝の起源をたどると、その始まりは「奴隷」という意外な出自に行き着きます。マムルーク(mamlūk)とはアラビア語で「所有された者」、すなわち奴隷を意味する言葉であり、この王朝の成り立ちを象徴しています。
多様な民族出身の奴隷兵士
マムルークの多くは、キプチャク・トルコ人、チェルケス人(サーカシア人)、グルジア人など、中央アジアやカフカス地方の出身者でした。彼らは戦乱などで故郷を離れ、奴隷商人の手を経てエジプトへと売られていきました。
アイユーブ朝による購入と精鋭騎兵への育成
当時のエジプトを支配していたアイユーブ朝(サラディンが創設した王朝)は、こうした若い奴隷たちを積極的に購入しました。彼らはイスラム教へ改宗し、厳しい軍事訓練と教育を施され、とりわけ騎馬弓術に優れた精鋭騎兵として育て上げられます。主人との強い忠誠の絆で結ばれた彼らは、次第に強力な軍事集団を形成するようになりました。
1250年、自らの王朝を樹立
1249年、第7回十字軍の侵攻の最中にアイユーブ朝のスルタン・サーリフが死去すると、エジプトに権力の空白が生じました。翌1250年、マムルークたちは主家であるアイユーブ朝の支配を打倒し、エジプトの実権を掌握します。こうして誕生したのがマムルーク朝でした。
建国からほどない1260年には、アイン・ジャールートの戦いで当時無敵とされたモンゴル軍を撃破し、その西進を阻止して大きな名声を得ました。以後、マムルーク朝は1517年にオスマン帝国に征服されるまで、約270年間にわたりエジプトとシリア地方を統治し続けることとなります。