概要
「赤い塔」は、タイ中部ペッチャブリー県に位置する宗教関連の古代遺跡です。かつては荒廃していましたが、現在では修復と景観整備が行われています。建築様式の分析から、仏暦23世紀半ば(西暦18世紀前半頃)、すなわちアユタヤ王朝後期に建造されたものと推定されています。
立地と周辺環境
遺跡はペッチャブリー川の西方約300メートルに位置し、標高は海抜約9メートルです。チェディ(仏塔)の東方約13.5キロメートルにはタイランド湾が開けており、主要な水系としてはペッチャブリー川とタイランド湾が挙げられます。
遺跡の周囲は南側を除き草地となっており、一帯は古代遺跡の敷地に含まれ、その外側は農業地域へと続きます。南側には自動車が通行できる2車線のコンクリート道路が走っています。また、チェディの東側、入口にあたる場所には、小さなセメント造りの祠堂「赤い塔の祠」が建っています。
地形と地質
この一帯は、第四紀までに海岸性堆積物や河川の堆積作用によって形成された低地です。ペッチャブリー川流域特有の、肥沃な沖積平野が広がる土地といえます。
建築の特徴
ラーチャブリー第1芸術局の資料によれば、赤い塔はレンガとセメントで造られたチェディで、平面プランは正方形を呈します。基壇部分は幅約17×17メートル、高さ約20メートルに達する規模を誇ります。
構造は下段から、4層の切り板式基壇(ターン・キアン)を重ね、その上にシンハ基壇(獅子座基壇)を配し、さらに二十の角窪みが垂直に連なる方形基壇が八角形の塔身(ルアン・タート)を支える構成となっています。外壁の8面すべてに装飾アーチが巡らされていますが、壁の上端は均等に切断されたような仕上げになっており、未完成のまま放棄された可能性も指摘されています。
塔身の内部は八角形の空間で、入口となる扉は東側に設けられています。ただし、上層へ続く階段の痕跡は確認できないため、当初どのように利用されていたのかは明らかになっていません。
建設年代と歴史的背景
この塔の建造経緯を直接示す確かな記録は存在しません。しかし、建築様式から仏暦23世紀半ばの作と推定されており、これはアユタヤ王朝時代の歴史資料と整合的です。
史料には、即位前のクン・ルアン・ソーラサック――後のスア王(サンペット8世)――が、ペッチャブリーの森で象狩りを行ったという記述があります。チュラサカラート1064年(己亥年)、仏暦2245年(西暦1702年頃)、ボーロマラーチャ王の治世にあたる出来事ですが、年代記自体には塔の建造についての言及はありません。
一方、この赤い塔が所在する地名「バーン・ライ・パニヤット」は、この一帯がかつて象の捕獲場(パニヤット)であったことを物語っています。このため、スア王がペッチャブリーで象狩りを行った際、恩寵としてパニヤットとこの赤い塔を建立した可能性があると考えられているのです。