考古学的発見

エジプト、アブ・シンベル神殿の救出移転から50周年

ユネスコが主導した考古学史上類を見ない大規模な救出作戦は、1968年9月22日に完結しました。

エジプト、アブ・シンベル神殿の救出移転から50周年

1964年12月24日、上エジプトのアブ・シンベル両神殿の新しい移転先へ運搬する準備として、ラムセス2世の巨像を切断・解体する作業員たち。

文化遺産保護における国際協力の歴史的成果

1968年9月22日は、エジプト南部に位置するアブ・シンベル両神殿の移転工事が完了した記念すべき日です。この作戦を主導したユネスコのルネ・マユー事務局長は「文化分野において、これほどの規模の国際協力運動が展開されたのは今回が初めてである」と述べています。

アブ・シンベル神殿はいつ建てられたのか?

アブ・シンベルの二つの神殿は、上エジプトのナイル川を見下ろす岩山に直接彫り込まれた岩窟神殿です。紀元前1298年から1235年にかけてエジプトを統治したファラオ、ラムセス2世によって建造され、オシリス神とイシス女神に捧げられました。大きい方の大神殿は、高さ32メートルのファサードにファラオの座像をかたどった巨像4体が並び、その奥には深さ63メートルに及ぶ部屋や回廊が続いています。アブ・シンベルは古代ヌビアの至宝の一つであり、当時のヌビアはナイル川沿いに領土を広げ、その版図は現在のエジプトとスーダンにまたがっていました。

なぜアブ・シンベル神殿は移転されたのか?

1950年代のエジプトでは、ナセル革命が起こりました。ガマール・アブドゥル=ナーセルは、地域に不可欠な電力を供給し、耕作地を拡大するとともにナイル川の氾濫を抑えることを目的に、南部でのアスワン・ハイダム建設計画を打ち出します。しかし、この計画は巨大な人工湖(ナセル湖)の形成を伴うため、ヌビア地方の記念碑的建造物に重大な脅威をもたらすことになりました。ファラオ時代やグレコ・ローマン時代の数多くの神殿や礼拝堂とともに、アブ・シンベル神殿も永久に水底へ沈む危機にさらされたのです。

誰がアブ・シンベルの移転を行ったのか?

800人の作業員と100人余りの技術者が、灼熱の太陽が照りつける砂漠のただ中で、4年間にわたり作業に従事しました。作戦全体はユネスコが指揮を執り、約50か国がこれに協力。総費用は3600万ドルに達しました。

移転はどのように行われたのか?

数々の提案の中から採用されたのは、スウェーデンとエジプトが共同で提示した案でした。工事は1964年4月1日、水位上昇から遺跡を守るための締め切り堤防(コッファダム)の建設から始まり、続いて両神殿を囲む断崖の掘削が進められました。アブ・シンベル神殿は、1個あたり20~30トンの石ブロック1035個に切断されます。座像の巨像4体と立像6体も同様に細かく切り分けられました。強力な油圧ジャッキ、クレーン、ウインチといった特別な機材を駆使して、これらの巨大な塊を最大64メートルもの高さまで吊り上げ、崖の頂上で一つひとつ組み直すことで、二つの神殿を完全な形で復元しました。最後に、神殿を取り囲み覆うように人工の丘が築かれ、往時の姿がよみがえったのです。