ペルー北部の乾燥地帯で、新たな墓が次々と発掘されている。この一帯には、インカ帝国以前の南米で最も強大だった文明の一つ、モチカ(モチェ)文化の壮麗な儀式センターが今も佇んでいる。
チクラヨ近郊で発見されたモチカ軍事指導者の墓。
インカに先立つ北海岸の強国・モチカ
インカ帝国がアンデス地方に覇権を確立する(14〜15世紀)はるか前、モチカ人は紀元1世紀から8世紀にかけて、ペルー北海岸に強大な国家を築き上げていた。同国南部のパラカス文化やナスカ文化と同時代に栄えたモチカは、記念碑的な巨大建築、たびたび行われた人身供犠の残酷さ、そして極めて豊かな葬送儀礼によって知られている。
ウアカ・プエブロ・デ・ウクペで出土したモチカ貴族の墓を発表するペルーの考古学者ヴェルコ・マルシック。©Deisy Cubas / RPP News
3基の墓から見えてきたもの
先日、ペルー各メディアは、チクラヨ近郊の考古学複合遺跡「ウアカ・プエブロ・デ・ウクペ」において、シパン王陵博物館の調査チームが日干しレンガ製のモチカ墓3基を発見したと報じた。うち1基は激しい雨による損傷を受けていたが、女性と子供が銅製の花冠や陶器類といった豊かな副葬品に囲まれて埋葬されていた。陶器の中には、モチカ文化特有の性的な意匠をもつ壺「エロティコ」も含まれていた(下記参照)。
3基のモチカ墓のうち1基から出土した「エロティコ」と呼ばれる陶器。©Ministry of Culture of Peru
残る2基の墓には、リャマなどのラクダ科動物や貴重な品々とともに埋葬された男性たちが納められていた。出土品には銅製の仮面、頭飾り、耳飾り、鼻環(ナリグエラ)、金属製の胸飾りのほか、旗まで含まれており、いずれも被葬者がエリート階級に属していたことを示すものだ。
儀式用装飾品のクローズアップ。©Deisy Cubas / RPP News
これらの象徴的な遺物から判断すると、被葬者はおそらく軍事指導者であろうと考古学者ウォルター・アルバ氏は述べている。同氏は1987年、ランバイエケで「南米のツタンカーメン」と称される「シパンの王」の驚異的な埋葬室を発見した人物として知られる。今回の発見は、モチカ社会において軍事活動がいかに重要視されていたかを改めて裏付けるものとなった。
【用語解説】エロティコとは
「モチカの墓から出土するこれらの性的な小像は、空想の産物というより、むしろ宗教的な領域に属するものである。テラコッタの壺に表現された戯れの露骨なエロティシズムは研究の障害となり、20世紀にはむしろ利潤を生む密売の対象となってきた。ソドミー、フェラチオ、異性間の性行為――こうした場面はすべて、驚くほど解剖学的に精密に造形されている」
関連記事:『サイエンス・エ・アヴニール』誌2005年9月号掲載「モチカの神聖なエロティシズム」を参照。