考古学的発見

ナチスが略奪した「琥珀の間」の謎、ついに解明へ?――バルト海で発見されたドイツ船の残骸

バルト海の海底から浮かび上がる20世紀最大の謎

第二次世界大戦最大級の未解決ミステリーとして知られる「琥珀の間(アンバー・ルーム)」。ナチス・ドイツによって略奪され、1945年以降その行方が分からなくなっていたこの伝説的な至宝について、ついに決定的な手がかりが見つかるかもしれません。ポーランドのダイバー集団「Baltictech」は、Facebook上で、謎を解き明かす鍵となる可能性を秘めたドイツ船の沈没船を発見したと発表し、大きな話題を呼んでいます。

ナチスが略奪した「琥珀の間」の謎、ついに解明へ?――バルト海で発見されたドイツ船の残骸

1945年4月にバルト海に沈んだ蒸気船カールスルーエの残骸の上に浮かぶダイバー © Baltictech

世界唯一のカラー写真が残る「琥珀の間」とは

「琥珀の間」は、琥珀(コハク)の板で壁面全体が飾られた豪華絢爛な部屋です。サンクトペテルブルク近郊のツァールスコエ・セロー宮殿内に位置し、ロシア帝国の宮殿の中でも最も価値ある部屋の一つとされてきました。1716年にはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世からロシア皇帝ピョートル大帝へ贈られています。1917年に撮影された写真は、この部屋の姿を今に伝える世界で唯一のカラー写真として知られています。

ナチスが略奪した「琥珀の間」の謎、ついに解明へ?――バルト海で発見されたドイツ船の残骸

1917年、ツァールスコエ・セロー宮殿で撮影された琥珀の間のカラー写真 © Public domain

水深84メートルで見つかった蒸気船「カールスルーエ」

英紙ガーディアンの取材に応じたBaltictechのメンバー、トマシュ・スタフラ氏によると、ポーランドのウスカ沖北側、水深84メートルの地点でほぼ無傷の状態で発見されたのは、蒸気船「カールスルーエ」の残骸だといいます。同船は1945年4月、ソ連軍機の爆撃を受けてバルト海に沈みました。

さらにダイバーたちの証言によれば、船倉には「軍用車両や磁器、そして中身の不明な多数の木箱」が積まれていたとのことです。

ナチスが略奪した「琥珀の間」の謎、ついに解明へ?――バルト海で発見されたドイツ船の残骸

水深84メートルのカールスルーエの残骸に残るドイツ軍の装備品 © Baltictech

歴史文書が示す「ハンニバル作戦」との関わり

複数の歴史資料を調査した結果、探索チームはカールスルーエが、デーニッツ提督が指揮した「ハンニバル作戦」に参加していたことを突き止めました。これは1945年1月23日から5月8日までの約15週間にわたり実施された、史上最大級の海上撤退作戦です。歴史家たちは、この作戦によって200万人ものドイツの民間人や軍人が避難したと述べています。

当時、軍艦から商船、漁船、貨物船、豪華客船まで、「浮くものすべて」が徴用され、できるだけ多くの人員を運ぶための護送船団が編成されました。赤軍の進撃に追い詰められた東プロイセンのケーニヒスベルク(現在のロシア領カリーニングラード)では、民間人も兵士も必死に脱出を図っていました。

そして重要なのは、1945年の記録の中で琥珀の箱の存在が最後に言及されたのが、このケーニヒスベルクだという点です。「もしドイツが琥珀の間をバルト海を越えて運び去ったのだとしたら、カールスルーエこそが最後のチャンスだったのではないか?」――Baltictechチームはこう問いかけています。

わずか数分で沈んだ最期の航海

1945年4月12日、ピラウ港を出航したカールスルーエには、「ヘルマン・ゲーリング連隊の兵士100名以上、一般市民1000名以上、そして数トンに及ぶ貨物」が積まれていました。しかしその翌日の13日朝、同船は爆撃を受け、わずか数分で沈没してしまいました。乗船していた1083人のうち、生き残ったのはわずか100人ほどだったと伝えられています。

憶測を呼んできた「ナチスの財宝」

ナチスが略奪した「琥珀の間」の謎、ついに解明へ?――バルト海で発見されたドイツ船の残骸

全ロシアの女帝として知られるエカチェリーナ2世の肖像画 © Albert Albertrandi / Newscom/Sipa

「ナチスの財宝」は、常に人々の想像力をかき立ててきたテーマであり、根拠の薄い探索の対象になることも少なくありません。琥珀の間についても、先の大戦の終結以来、さまざまな憶測が飛び交ってきました。鉱山の奥深くに今も埋蔵されているのではないかと語る人さえいるほどです。

失われた至宝の足跡を追って

ナチスによって解体された琥珀の間は、総重量6トンに及ぶ琥珀の装飾板で構成されており、ドイツへ搬送される予定でした。多くの歴史家は、これらの琥珀板は1945年の爆撃で破壊され、跡形もなく失われたと考えています。

ところが、この宝物の一部とみられる品々――モザイク画と箪笥――が、おそらく戦争中に持ち去られたものと思われますが、1997年にドイツのブレーメンで偶然再発見されました。これらの品はその後、ドイツ連邦政府によってロシアへ返還されています。2003年以来、サンクトペテルブルクを訪れる人々は、再建された琥珀の間の複製を鑑賞することができます。

失われた宝石のような至宝の痕跡は、海の底にも眠っているのでしょうか。大胆な仮説を掲げるポーランドのダイバーたちは、その答えを信じる準備ができているようです。