実は、ウォルター・ローリー卿(Sir Walter Raleigh)自身がロアノーク島を発見したわけではありません。彼はエリザベス1世から与えられた勅許に基づき、探検隊を派遣して植民活動を指揮した後援者でした。
ロアノークへの探検と植民の経緯
1584年:最初の偵察航海
ローリーの命を受け、フィリップ・アマダスとアーサー・バーロウが率いる探検隊が1584年に現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州沖のロアノーク島に到達しました。彼らはこの土地をイングランド領と宣言し、帰国後に現地の豊かさを報告したことが、本格的な植民計画のきっかけとなりました。
1585年:第一次植民地
1585年にはラルフ・レーン率いる約100名の入植者がロアノーク島に渡り、北米におけるイングランド人による最初の恒久的な植民地の建設を試みました。しかし食糧不足や先住民との対立が重なり、この試みは失敗に終わり、翌1586年に入植者たちはフランシス・ドレイク卿の船でイングランドへ撤退しました。
1587年:「失われた植民地」となる第二次植民
1587年、ジョン・ホワイト率いる約120名の男女と子どもからなる新たな入植団がロアノーク島に上陸しました。この中には、北米で生まれた最初のイングランド人の子どもとなるヴァージニア・デアも含まれていました。物資調達のため一時帰国したホワイトが1590年に戻ったとき、入植者の姿はなく、木には「CROATOAN(クロアトアン)」という文字だけが刻まれていました。これが歴史に名高い「失われた植民地(Lost Colony)」の謎です。
まとめ
つまり、ロアノーク島自体は先住民族が古くから暮らす土地であり、ヨーロッパ人として最初に到達したのはローリーの派遣した探検隊です。ローリー卿の役割は、1585年と1587年の二度にわたり探検隊と入植者を送り出し、北米初のイングランド植民地の建設を主導したことにあります。この試みは最終的に失敗しましたが、1607年のジェームズタウン植民地成功への重要な足がかりとなりました。