歴史上の人物と現存する子孫との血縁関係を、遺伝子技術によって裏付けることに世界で初めて成功しました。今回科学的に証明されたのは、名高いネイティブアメリカンの酋長シッティングブルと、そのひ孫を自称する男性との関係です。

ワシントンのスミソニアン協会人類学部門が提供した写真。ネイティブアメリカンの酋長シッティングブルの頭皮から採取された髪の毛束
古代DNAのごく微量、あるいは断片化したサンプルからでも遺伝情報を抽出できる新技術の登場により、著名なネイティブアメリカンの酋長シッティングブルと現存の子孫との血縁関係が立証されました。この技術は、英国ケンブリッジ大学およびデンマークのルンドベック財団地理遺伝学センターのエスケ・ウィラースレフ教授率いる科学者チームによって開発され、水曜日に学術誌『Science Advances』で発表されました。
これまでの古代遺伝サンプルを用いた研究では、哺乳類が持つ2つの性染色体のうちY染色体に含まれる遺伝的性別マーカーを使って一致を探るのが主流でした。男性はY染色体とX染色体を1本ずつ、女性はX染色体を2本持っています。しかしウィラースレフ教授がAFPに語ったところによると、73歳のアーニー・ラポワント氏は母方を通じた子孫だと主張していたため、こうした従来の手法は使えなかったといいます。
そこでウィラースレフ教授らは、性染色体に依存しない「常染色体」DNAを調べる方法を編み出しました。研究チームはシッティングブルの髪のサンプルから少量の常染色体DNAを検出し、それをラポワント氏のDNAと比較するためのコンピューター計算手法を新たに開発しました。「この結果に基づいて、シッティングブルとの親族関係を推定できます」とウィラースレフ教授は述べ、「アーニー・ラポワント氏がシッティングブルのひ孫であることは100%確実です」と断言しています。

ネイティブアメリカンの酋長シッティングブル、本名タタンカ・イヨタケ(1831年~1890年)。1885年の肖像(ワシントン国立肖像画美術館、スミソニアン協会提供/AFP配信)
先祖の遺骨移転への願い
「長年にわたり、多くの人々が私たち姉妹とシッティングブルとの血縁関係に疑問を呈してきました」とラポワント氏はケンブリッジ大学の声明で語っています。彼によれば、シッティングブルの遺骨は現在、今も多くのネイティブアメリカンが暮らすサウスダコタ州モーブリッジに安置されていますが、その場所はラコタ族の酋長や彼が体現した文化とは何のゆかりもない土地だといいます。ラポワント氏は遺伝的なつながりを証明することで、先祖の遺骨を掘り起こし、よりふさわしい場所へ移送する権利を得ようとしてきたのです。
メディスンマンとの儀式

シッティングブルのひ孫アーニー・ラポワント氏(ワシントン国立肖像画美術館、スミソニアン協会提供/AFP配信)
シッティングブル、本名タタンカ・イヨタケは1831年に生まれ、1890年にこの世を去りました。1876年にはリトルビッグホーンの戦いで1500人のラコタ戦士を率い、カスター将軍指揮下のアメリカ軍を壊滅させたことで広く知られています。
約10年前、ウィラースレフ教授はラポワント氏の真実を求める歩みを知り、自ら協力を申し出ました。シッティングブルの死後に切り取られた髪の毛束は2007年、ワシントンの博物館からラポワント氏へ返還されていましたが、彼はそれを教授に引き渡す前に、科学者の意図が純粋かどうか見極めたいと考えました。そこでラポワント氏は、メディスンマン(アメリカ先住民族の部族における癒し手)が立ち会い、太鼓と歌が響く暗い部屋で行われる儀式への参加を、ウィラースレフ教授に求めたのです。
「部屋の中央に青緑色の光が現れました。私は生来科学者なので『ああ、メディスンマンがランプを持って動き回っているんだな』と思いました。ところが暗闇の中で腕を伸ばしてみると、そこには誰もいませんでした」と教授は振り返ります。その後、ウィラースレフ教授とホストたちはラコタのパイプを回し、バイソンの肉をともに食べました。そしてラポワント氏は、あの神秘的な光こそシッティングブルの霊であり、研究に対する祝福だったと告げたのです。
しかしラポワント氏が渡したのは、全長30センチを超える毛束のうちわずか4センチでした。残りは先祖の霊の指示に従い、火葬してしまったといいます。「これは大惨事だ」。当時のウィラースレフ教授はそう考え、残されたDNAでは分析が足りないだろうと悟りました。しかしこの逆境こそが、彼とチームをその後10年間にわたる革新的手法の開発へと駆り立てることになりました。この手法は、古代DNAサンプルさえ入手できれば、無法者ジェシー・ジェームズからロシア帝国の皇族に至るまで、他の歴史上の人物との血縁関係を解き明かすことにも応用できる可能性を秘めています。