考古学的発見

デ・ソト、コロナド、カブリロはなぜ「シボラの黄金都市」を求めて探検したのか?

16世紀の北米大陸には、金に満ちた伝説の都「シボラの七都市」を求めてスペイン人探検家たちが次々と足を踏み入れました。しかし、歴史的に見ると、エルナンド・デ・ソト、フランシスコ・バスケス・デ・コロナド、フアン・ロドリゲス・カブリロの3人がすべて同じ架空の「シボラの黄金都市」を探索したという証拠は存在しません。実際には、3人はそれぞれ異なる目的と地域を対象に探検を行っていたのです。

エルナンド・デ・ソトの探検(1540年代)

デ・ソトは1540年代に、現在のアメリカ合衆国南東部を横断する大探検を行いました。彼の目的は富の獲得であり、さらに太平洋へと至る陸路の発見でした。ミシシッピ川をはじめとする広大な地域を踏査しましたが、期待していた黄金や銀は見つかりませんでした。

コロナドと伝説の「シボラの七都市」

一方、コロナドは同じく1540年代に、現在のアメリカ南西部を中心に探検を行いました。彼こそが、金銀で満ちていると噂されていた伝説上の「シボラの七都市」と「キビラ」を本格的に追い求めた人物です。しかし、目指した都市は実在せず、遠征は多大な費用と犠牲を払っただけに終わりました。

カブリロの太平洋岸探検

フアン・ロドリゲス・カブリロもまた1540年代に活動した探検家ですが、彼の目的は内陸の黄金都市ではなく、北米西海岸の沿岸調査でした。船で太平洋岸を北上しながら海岸線を地図に描き、現在のカリフォルニア一帯をスペイン領として宣言しました。

まとめ

このように、「シボラの黄金都市」を直接探索したのは主にコロナドであり、デ・ソトは富と太平洋への陸路を、カブリロは西海岸の測量と領有宣言を目的としていました。3人の探検はそれぞれ異なる動機に基づいていたものの、いずれもスペイン帝国の北米進出という大きな流れの中で行われたものだったのです。