ボタニー湾の発見と命名
1770年、イギリスの探検家ジェームズ・クック船長がオーストラリア東海岸に到達しました。クック一行は現在のシドニー南方に位置する湾に上陸し、同行していた植物学者ジョセフ・バンクスとダニエル・ソランダーが膨大な植物標本を採集しました。このことから、この湾は「ボタニー湾(植物学者の湾)」と名付けられました。
アーサー・フィリップと第一艦隊の到着
しかし、イギリスによる本格的な入植はそれから18年後のことです。1788年1月、海軍大佐アーサー・フィリップ率いる「第一艦隊」がボタニー湾に到着し、流刑植民地の建設を開始しました。艦隊には約750人の囚人をはじめ、兵士や役人などが乗り組んでおり、オーストラリアにおけるヨーロッパ人入植の歴史はここに幕を開けたのです。
フィリップの決断——新天地シドニー・コーブ
実は、フィリップ船長にとって最大の発見は、ボタニー湾そのものではなく、その欠点でした。現地を詳細に調査した結果、水と土壌が乏しく、大規模な入植には不向きだと判断したのです。そこで彼はわずか数日後に北へ移動し、天然の良港として知られるポートジャクソン湾内の「シドニー・コーブ」に新たな植民地を建設しました。この場所こそ、現在オーストラリア最大の都市となったシドニーの中心部です。そして到着日の1月26日は、今日でもオーストラリアの建国記念日(オーストラリア・デー)として祝われています。