考古学的発見

ツタンカーメン王の墓を発見したのは誰?発掘に関わった主要メンバーを解説

1922年、イギリスの考古学者ハワード・カーターによって、エジプト・王家の谷でツタンカーメン王の墓がほぼ完全な状態で発見されました。この世紀の大発見は、カーターひとりの功績ではなく、多くの専門家たちの協力によって成し遂げられたものです。ここでは、発掘に関わった主要な人物とそれぞれの役割を紹介します。

ハワード・カーター(Howard Carter)

イギリスの考古学者にしてエジプト学者。1922年、王家の谷において盗掘を免れたほぼ完全な状態のツタンカーメン王の墓を発見しました。その後およそ10年間にわたって発掘調査を指揮し、膨大な副葬品の記録と保存作業を主導しました。

カーナヴォン卿(Lord Carnarvon)

イギリスの貴族であり、発掘事業の後援者。カーターの発掘調査を経済的に支えた最大のパトロンです。墓が初めて開かれた際に立ち会ったとされ、その数か月後、蚊に刺された傷の感染がもとで亡くなりました。この死はのちに「ファラオの呪い」伝説の起源の一つとして語られることになります。

アーサー・カレンダー(Arthur Callender)

イギリスの考古学者。カーターの右腕として発掘現場を支え、重い石棺の開封作業など難所となる工程にも深く関わりました。また、墓内の遺物に関する詳細な図面や記録の作成にも貢献しています。

リチャード・ベセル(Richard Bethell)

イギリスの考古学者。カーターの秘書兼助手として発掘チームに加わり、記録の整理や現場業務の管理を担いました。発掘完了後まもなく若くしてこの世を去ったため、「呪い」にまつわる逸話の登場人物としても知られています。

アルフレッド・ルーカス(Alfred Lucas)

イギリス出身の化学者。エジプト政府の化学部門で長年勤務した経験を持ち、発掘では出土品の成分分析と保存処理を担当しました。金属や木材などの材質調査を通じて、貴重な遺物を後世に残す保全作業の要となりました。

ハリー・バートン(Harry Burton)

アメリカ人の写真家。メトロポリタン美術館から派遣され、発掘の公式カメラマンを務めました。墓の近くに暗室を設営し、数千枚に及ぶ写真で発掘の様子と遺物の数々を記録しました。これらの写真は現在でも最も信頼性の高い一次資料として珍重されています。

このように、ツタンカーメン王の墓の発見と発掘は、考古学・化学・写真といった異なる分野の専門家たちの結集によって実現しました。それぞれの知識と技術が組み合わさったことで、世紀の大発見は今日まで語り継がれる貴重な記録となったのです。