コンコードに武器を保管していたのは、実は入植者たち自身ではありません。むしろ、入植者が大量の武器や軍需物資を備蓄していることを察知したイギリス側が、これらを押収するために部隊をコンコードへ派遣したのです。
コンコードの武器庫をめぐる歴史的背景
1775年4月19日、マサチューセッツのコンコードで起きたこの出来事は、アメリカ独立戦争の発端となった「レキシントン・コンコードの戦い」に直結しています。
当時、マサチューセッツ湾植民地の総督トマス・ゲイジ将軍は、入植者の民兵組織(ミニットマン)がコンコード周辺に大量の火薬、大砲、銃器などの軍需品を隠し持っているという情報をつかんでいました。そこで彼は、正規軍約700名を派遣し、これらの武器を没収することで民兵の武装解除を図ろうとしたのです。
入植者たちの対応
しかし、イギリス軍の動きは事前に察知されていました。ポール・リビアやウィリアム・ドーズによる有名な「真夜中の騎行」によって警告が伝わり、民兵たちは迅速に集結することができました。
その結果、レキシントンでの小競り合いに続き、コンコードのノースブリッジでも本格的な戦闘が発生。数の上で劣勢となったイギリス軍はボストンへの撤退を余儀なくされ、その帰路では民兵の執拗な攻撃にさらされ、大きな損害を受けました。
まとめ
つまり、コンコードの武器庫は入植者たちが対立のために特別に設けたものではなく、イギリス当局がその存在を問題視し、武力で奪取しようとしたこと自体が紛争の引き金となったのです。この出来事は「アメリカ独立戦争最初の一撃」として、今日も歴史に刻まれています。