歴史上の人物

ルイーズ・ラベ――「美しき紐屋の女」と呼ばれた16世紀フランスの詩人

ルイーズ・ラベ(Louise Labé、1524年~1566年)は、「美しき紐屋の女(ラ・ベル・コルディエール)」の愛称で親しまれた、ルネサンス期フランスの詩人です。16世紀最大級の作家の一人と評価されており、当時としては極めて先進的な視点から、女性が教育を受ける権利と思想の独立を訴えた先駆的な存在でもありました。

「美しき紐屋の女」という愛称

紐職人の徒弟だったピエール・シャルリーの娘として、ルイーズ・シャルリーは1524年に商業都市リヨンで生まれました。父が「ピエール・ラベ」という通称を名乗っていたことに倣い、彼女もまた自らを「ルイーズ・ラベ」と称するようになりました。

彼女は恵まれた教育を受けて育ち、とりわけイタリア語、ラテン語、音楽に秀でていました。やがて裕福な紐商人エンモン・ペランと結婚すると、「美しき紐屋の女」という愛称を得ることになります。夫の財産に支えられ、彼女は大規模な蔵書を築き上げることで文学への情熱を存分に満たすことができました。

やがて自身でも執筆を始めると、詩人たちとの交流を深め、リヨンの文学サークル「リヨン派(エコール・ド・リヨン)」に加わります。同時代の詩人たちから高い評価を受け、一部の作品では彼らとの協働も行いました。

代表作『狂気と恋の論争』

彼女の作品(全662行)は1555年に完全な形で出版されました。古代ローマの詩人オウィディウスに着想を得たその詩は、洗練された形式美を保ちながらも、内に秘めた情熱がほとばしるような作風が特徴です。

中でも『狂気と恋の論争』において、彼女は女性が教育を受ける権利と、自らの頭で考える自由を力強く主張しました。先駆者であるクリスティーヌ・ド・ピザンと同じように、ルイーズ・ラベは、恋愛をテーマとした寓意詩『薔薇物語』に見られる女性蔑視に対して真っ向から異議を唱えたのです。

作品紹介――二つのソネット

「私の目が涙を流せる限り」

私の目が涙を流せる限り
あなたと過ごした日々を惜しみ、
すすり泣きも嘆息も抑えて
私の声がかすかに届くうちは――

私の手が弦を奏でられる限り
可憐なリュートであなたの優美さを歌えるうちは、
心が喜んで
あなたに知られぬ願いを何ひとつ抱かない限り、

私はまだ死にたくありません。
けれど目が涸れ果て、
声は途切れ、手は力を失ったとき、

この死すべき住まいにある魂が
もはや恋人の証を示せなくなれば、
死よ、我が最も輝ける昼を暗くせよと祈るでしょう。

「淑女たちよ、私が恋をしたことを責めないで」

淑女たちよ、私を責めないでほしい、私が恋をしたことを、
千の燃える松明を感じたことを、
千の労苦、千の刺すような痛みを味わったことを、
泣くことで時を過ごしたことを。

ああ!私の名をそしらないでください。
もし私が過ちを犯したのなら、罰はすでに受けています。
その激しい棘をさらに苦々しくしないでください。
ただ信じてください、恋とは、時に応じて、

ヴァルカンの情熱も、アドニスの美貌も理由とせず、
望むなら、あなたがたをもっと深く恋に落とすことを――

私より経験は少なくとも、
より奇妙で強い情熱をもって。
そして、私以上に不幸にならぬよう、どうか用心なさい。

晩年と後世の評価

ルイーズ・ラベは1566年4月25日にこの世を去りました。しかし、その業績は色褪せることなく、今日なお16世紀最大の作家の一人として高く評価されています。男性中心だった文芸界において、女性の知性と感受性を堂々と表現した彼女の足跡は、後世の女性作家たちにとっても重要な道標となりました。