歴史上の人物

エラデ・ド・ランズベルク――女性初の百科事典『楽園の庭』を編んだ中世アルザスの修道院長

エラデ・ド・ランズベルク(Herrade de Landsberg、1125年~1130年頃生まれ - 1195年没)は、中世フランス・アルザス地方出身の修道院長、詩人、そして百科事典編纂者です。彼女が著した『楽園の庭(Hortus deliciarum)』は、女性によって書かれた世界初の百科事典として知られています。

『楽園の庭(Hortus deliciarum)』とは

エラデ・ド・ランズベルク――女性初の百科事典『楽園の庭』を編んだ中世アルザスの修道院長エラデはアルザスの貴族の家系に生まれ、ヴォージュ山脈のモン・サントディル(聖オディール山)にあるホーエンブルクで、1125年から1130年の間に誕生したと考えられています。彼女の前半生については詳しい記録がほとんど残っていませんが、かなり若い頃にホーエンブルク修道院に入りました。この修道院は680年に聖オディールによって創建された由緒あるものでした。

当時の修道院長レリンデ(Rélinde)の薫陶を受けたエラデは、文学や美術といった教養文化に深く触れ、その才能を磨いていきました。

早くも1165年頃から、エラデは生涯最大の事業となる『楽園の庭』の執筆に取りかかります。これはキリスト教に関する総合的な百科事典であり、完成までに約10年の歳月を要しました。本文も挿絵もすべて彼女自身の手によるものです。

女性初の百科事典の内容

『楽園の庭』は全684ページ・6部構成の写本で、主として当時の神学的知識を網羅しています。収録された挿絵は346点に及び、そこにはおよそ9,000体もの寓意的人物が描かれ、さらに数多くの詩歌も添えられていました。学問と芸術を融合させたこの作品は、中世女性の知的達成を示す貴重な記念碑といえます。

ホーエンブルク修道院長として

1167年、エラデ・ド・ランズベルクは先代レリンデの後を継いで、ホーエンブルク修道院の院長に就任しました。彼女は修道院の復興事業を完遂し、1195年7月25日に亡くなるまで、約28年間にわたって院長として修道院を導き続けました。

失われた原典とその復元

惜しくも『楽園の庭』の原本は、1870年に発生したストラスブール図書館の火災で焼失してしまいました。しかし幸いにも、以前に制作されていた多数の図版の複製が残っていたため、それらをもとに復元作業が行われ、エラデ・ド・ランズベルクの業績は今日まで伝えられることとなりました。