ベッシー・ストリングフィールド(Bessie Stringfield、1911年~1993年)は、「マイアミのバイカー女王(The Motorcycle Queen of Miami)」の愛称で知られる伝説的な女性ライダーです。オートバイで単身アメリカ全土を旅した最初の黒人女性であり、道中で数多くの人種差別や性差別に直面しながらも、決して夢を諦めることはありませんでした。

コインが決めた旅の行き先
ベッシー・ストリングフィールドは、ジャマイカのキングストンで、オランダ系白人の母とジャマイカ系黒人の父との間に生まれました。出生後まもなく一家はボストンへ移住しますが、彼女が5歳のときに両親を相次いで亡くし、アイルランド系女性のもとで育てられました。
16歳のとき、インディアンモーターサイクル社製の「インディアン・スカウト」を贈られたことが、彼女とバイクとの運命の出会いとなりました。独学で運転をマスターしたベッシーは、1930年、19歳で初めての長距離旅行へ出発します。行き先は、地図の上に硬貨を投げ、落ちた地点へ向かうというユニークな方法で決めていたといいます。
1930年代から40年代にかけて、ベッシーは8回にわたるアメリカ横断の旅を行い、48州すべてを訪れました。当時の人種差別や性差別は厚い壁として立ちはだかり、宿を断られることも珍しくありませんでした。彼女はしばしばアフリカ系アメリカ人の家に泊めてもらったり、ガソリンスタンドでバイクの上で眠ったりしながら旅を続けました。特に差別が色濃かった南部諸州も恐れずに走り抜け、ある旅の途中では白人のトラック運転手に故意にはねられるという事件にも遭っています。それでも彼女の意志が折れることはありませんでした。
レース場から締め出されて
旅の資金は、イベントやお祭りでのスタント走行によって稼いでいました。しかし当時、女性はレースへの出場を禁じられていたため、ベッシーは何度も男性になりすましてレースに参加しました。ところがヘルメットを脱いで正体が明らかになるたび、本来獲得できるはずだった賞品は取り消されてしまったのです。
私生活では6度の結婚と離婚を経験しています。3番目の夫アーサー・ストリングフィールドは、「妻のおかげで自分が有名になれる」という理由から、彼女に自分の姓を名乗り続けるよう求めたそうです。また、最初の夫との間で3人の赤ちゃんを失って以降、子どもを持つことはありませんでした。
第二次世界大戦と陸軍での活躍
第二次世界大戦中、ベッシーはアメリカ陸軍に協力し、ハーレーダビッドソンにまたがって国内の軍事基地間で書類を輸送する任務を担いました。4年の勤務期間中に、アメリカ大陸を8回も横断しています。
1950年代、フロリダ州マイアミに移り住んだベッシーは、警察から「黒人女性はオートバイに乗ってはならない」と差別的な言葉で告げられます。しかし彼女は屈することなく、繰り返される逮捕や嫌がらせにも負けずに走り続けました。ついには警察署長を近くの公園に招き、自らのライディング技術を実演してみせます。このデモンストレーションによって、彼女はついにバイクに乗る権利を勝ち取ったのです。
「マイアミのバイカー女王」と呼ばれて
マイアミでは看護師の資格も取得しましたが、バイクを手放すことはありませんでした。彼女は「アイアンホース・モーターサイクルクラブ(Iron Horse Motorcycle Club)」を設立し、その活躍ぶりが地元紙に取り上げられるようになると、やがて「マイアミのバイカー女王」と呼ばれるようになります。
生涯で所有した27台のハーレーダビッドソンのうちの1台にまたがり、ベッシーはレース、長旅、スタント披露を、1993年に心臓疾患で亡くなるまで続けました。
2000年、アメリカン・モーターサイクリスト協会(AMA)は女性ライダーの功績を称える「ベッシー・ストリングフィールド記念賞」を創設しました。さらに2002年にはモーターサイクル殿堂入りを果たし、その偉業は今も多くの人々に語り継がれています。