歴史上の人物

サルダール・パテルの獅子吼――ゴリ政権を震撼させた不屈の農民運動

サルダール・パテルの獅子吼――ゴリ政権を震撼させた不屈の農民運動

弾圧にも屈しない農民たち

サルダール・パテルが投獄されると、ゴリ政権はボルサッドおよびバルドーリーで結ばれた協定を反故にし、増税分の徴収を開始しました。これに対し農民たちは、かつての運動を再び起こさざるを得なくなりました。警察の暴虐がエスカレートするなか、多くの農民は家族や家畜を連れて森へと逃れました。村に残された子供や女性たちは、警察の格好の標的となってしまったのです。

実のところ、イギリス支配のもとで汚されたインド警察のイメージは、独立後も改善されることはありませんでした。警察は自らを公僕とはみなしていなかったのです。パテルが釈放されると、彼もまた直ちに運動へと身を投じました。偉大な指導者が再び自分たちと共にいるという事実は、民衆に自信を取り戻させました。

「土地を奪うなら、誰を統治するのか」

そんな折、あるイギリス人高官が「すべての農民が税を納めなければ、政府は全員の土地を没収する」という声明を発表しました。これに対してサルダールはこう切り返しました。「もし政府がすべての農民から土地を奪うならば、いったい誰を統治するというのだ」。さらに彼は農民たちに向けて、土地の没収を恐れるなと呼びかけました。没収された土地は、必ずや取り戻されるだろうと。

このサルダールの獅子のような咆哮は政権側を震え上がらせ、政府は再びパテルによる演説を禁止しました。

円卓会議と連邦構想

1930年、サイモン委員会の報告書を受け、インド政府は11のイギリス領州と566の藩王国からなる連邦の樹立を決意します。この問題についてインドの諸政党、藩王国の君主、その他の組織の代表と協議するため、1930年11月12日にロンドンで第一回円卓会議が開催されました。

しかし国民会議派は、完全独立を目標に掲げていたため、植民地国家の創設が議題となるこの会議への参加を拒否しました。会議派の不参加により会議の失敗はほぼ確定的でしたが、第一回円卓会議に出席した他のインド諸政党は、イギリス領インド諸州と土侯国が連邦を形成すべきだという点で一致しました。

演説禁止違反で9か月の投獄

1930年12月、ボンベイ(現ムンバイ)で行われたカディ店の開店式において、サルダールはごく簡素なスピーチを行いました。しかし政府はすでに彼に演説禁止令を出していたため、彼は逮捕され、今回は9か月間にわたり投獄されました。

第二回円卓会議と指導者の釈放

1930年の第一回円卓会議が失敗に終わると、政府は1931年に第二回円卓会議を招集しました。政府は、国民会議派が参加しなければ会議は成功しえないことを十分に承知していました。ところが当時、会議派の主要指導者は全員が獄中にありました。そこでインド政府は1931年1月25日、特別命令を発布し、会議派の参加を促すべく、最高幹部26名の指導者を釈放しました。サルダール・パテルも、その釈放された指導者の一人だったのです。