フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt、1882年1月30日 – 1945年4月12日)
プロフィール
フランクリン・デラノ・ルーズベルト(1882–1945)は、アメリカ合衆国の政治家であり、第32代大統領。民主党に所属し、イニシャルを取った「FDR」の略称でも広く知られています。
1911年から1913年にかけてニューヨーク州上院議員を務め、1919年にはパリ講和会議に参加しました。その後、1929年から1933年まではニューヨーク州知事として行政経験を積み、後の大統領職への足掛かりを築きました。
ニューディール政策と大統領就任
1932年の大統領選挙に勝利して就任すると、世界恐慌がもたらした深刻な不況に対処するため、「ニューディール(New Deal)」政策を掲げました。政府主導の公共事業や金融改革などを通じて経済の立て直しを図り、苦境にあえぐ国民に大きな希望を与えたのです。
第二次世界大戦への道
ヨーロッパで政治的緊張が高まり続ける中、ルーズベルトは当初、アメリカの中立的立場の維持を目指しました。しかし1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃を受けると宣戦布告に署名し、ここにアメリカは本格的に第二次世界大戦へ参戦することとなりました。
彼はレンドリース法(武器貸与法)や大西洋憲章の提唱者でもあり、連合国側の中心的指導者として戦争を主導しました。さらに、テヘラン会談およびヤルタ会談における、いわゆる「ビッグスリー」(米英ソ三大首脳)の会議にも参加しています。
ヤルタ体制への影響
ルーズベルトは戦後秩序の構築において決定的な役割を果たしましたが、その一方でポーランドの扱いをめぐってスターリンに大幅な譲歩を行い、東西対立の枠組みとなるいわゆる「ヤルタ体制」の確立につながりました。この体制はその後数十年にわたり、ヨーロッパの地政学的な構図を形作ることとなったのです。
晩年と死
アメリカの歴史において唯一、4期連続で大統領に選出された人物です。若年期にポリオ(小児麻痺)を患い、病気の進行により晩年には車椅子での生活を余儀なくされましたが、障害を押して強い意志で国政を率い続けました。1945年4月、ドイツ降伏を目前に控えた任期中に死去し、その死は全米に大きな衝撃を与えました。