歴史上の人物

エドワード・リズ=シミグウィ(1886-1941):ポーランド元帥の栄光と転落

エドワード・リズ=シミグウィ(1886-1941):ポーランド元帥の栄光と転落

エドワード・リズ=シミグウィとは

エドワード・リズ=シミグウィ(Edward Rydz-Śmigły、1886年3月11日 - 1941年12月2日)は、ポーランドの軍人・政治家であり、ユゼフ・ピウスツキ率いる陣営の戦前活動家として頭角を現し、最終的に元帥にまで昇りつめた人物です。

青年期と軍人への道

リズ=シミグウィは1908年までクラクフ美術アカデミーで絵画を学び、同年から独立運動組織「活動的闘争同盟(ザク)」のメンバーとなりました。その後ヤギェウォ大学哲学部に進み、1912年に卒業。在学中にはウィーンなどでも学んでいます。さらに、射手協会の士官学校でも教育を受けました。

第一次世界大戦が勃発すると、1914年からポーランド軍団の歩兵連隊指揮官を務め、1917年にはポーランド軍事機構(POW)の総司令官に就任するなど、ポーランド独立への道を軍事的に支え続けました。

戦間期の栄光

1918年には短期間ながら戦争大臣を務めます。1920年には少将に昇進し、同年5月7日には第3軍司令官としてキーウを占領する功績を挙げました。これにより、ユゼフ・ピウスツキからヴィルトゥティ・ミリタリ勲章コマンダー十字章(第2級)を授与されています。

1926年5月にピウスツキがクーデターを起こした際にも彼を支持し、政権中枢との結びつきを強めました。1935年5月12日にはイグナツィ・モシチツキ大統領により武装部隊総監察官に任命され、1936年にはピウスツキ元帥の遺志に反する形で大統領から元帥杖を授かり、同年11月10日には上級大将となりました。

1939年9月戦役と晩年

1939年のドイツ侵攻による9月戦役ではポーランド軍の最高司令官を務めましたが、ポーランド敗北の責任を問われることになりました。ルーマニアへ退避後は1941年まで同地に抑留されます。抑留中の1939年10月27日に最高司令官を辞任し、その辞任は11月7日に承認されました。

同年12月10日には脱出に成功してハンガリーへ渡り、その後ポーランドへ戻りました。しかし1941年12月2日、心臓発作により急逝します。遺体は偽名「アダム・ザヴィシャ」としてワルシャワのポヴァンスキ墓地に埋葬されましたが、軍人区画ではなく一般区画に葬られました。かつて国家の英雄として崇拝された男の、静かで寂しい最期でした。