
16世紀フランスを代表する偉人
アンブロワーズ・パレ(Ambroise Paré、1509年 - 1590年)は、16世紀フランスを代表する偉人の一人であり、戦場で活躍した外科医です。「近代外科学の父」と称され、数多くの外科器具の発明者としても知られています。
過酷な戦場での経験と治療法の改革
パレは戦場で目の当たりにした凄惨な光景に直面しながらも、当時のあまりにも残酷な治療法を和らげることに成功しました。当時の銃創治療では、傷口を煮沸した油で焼き灼く(カウテル化)という激痛を伴う処置が常識とされていました。
卵油軟膏との出会い
1537年のトリノ包囲戦では、煮沸油が不足したため、パレは代わりに卵黄・薔薇油・テレビン油を混ぜた軟膏を傷口に塗布しました。翌朝、この軟膏で処置した兵士の傷は炎症を起こしておらず、煮沸油で焼いた傷よりもはるかに良好であることを発見します。この経験が、彼による治療法改革の出発点となりました。
ペルピニャン包囲戦と新技術の開発
1542年には、スペイン軍が占領していたペルピニャンの包囲戦に従軍しました。パレはその後も新しい外科手術技法の開発を続け、血管結紮法(けっかんけっさつほう)の導入など、止血のための革新的な手法を確立していきました。
フランス王室の侍医として
やがてパレはフランス国王アンリ2世の侍医となり、その子孫であるフランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世と、四代にわたって王家に仕えました。
ユグノーとしての信念と聖バルテルミーの虐殺
パレは熱心なユグノー(フランスのプロテスタント)としての信念を最後まで貫きました。1572年の聖バルテルミーの虐殺においても、彼はギーズ家の保護によって難を逃れました。
「私は包帯を巻いた。神が癒したのだ(Je le pansai, Dieu le guérit)」という彼の名言は、謙虚な姿勢と医師としての誇りを象徴する言葉として、今日まで語り継がれています。